●9 うんちくん、初めての恋ごころ
「すっごく楽しかったね! また、ほかのだれかに会えるといいなあ」
「そ、そうかな? オレは、それほどでもなかったけど」
ウンコちゃんは、うんちくんの顔をのぞきこんだ。
「ほんとうに? ほんとに楽しくなかったの? ぜんぜん?」
「だってオレ、子どものころから人見知りだったから、いつもお母さんのかげにかくれてばかりいて……」
「えっ! うんちくん、お母さんのことおぼえてるの? いっしょにくらしたこと、あるんだ?」
「もちろんだよ。でも、すごくみじかい時間だけだったけど」
「いいなあ〜、うらやましい。あたしなんかお母さんのことなんて、何ひとつおぼえてないんだよ」
「それじゃウンコちゃんは、どうやって育ったの?」
「生まれてすぐに、おばさんの家にあずけられたの。そのおばさんは、子どもを産んでなかったから、まだ死ななかった」
彼女の話は、うんちくんにとって初耳だった。うんちくんの数少ない友だちは、みんな1カ月か1カ月半だけの期間だったが、母親と一緒に暮らしていたのだった。その短い時間の中で、教えられるだけのことを教えると、母親たちはやがて息絶えた。
けれど、ウンコちゃんの話によると、彼女が生まれたときにはすでに、母親は亡くなっていたと聞かされたという。
「それってもしかして、うんちとウンコじゃ、少しだけちがうってことなのかな」
「その辺のことは、あたしもよくわからない。けど、うんちくんがいうように、もしかしたらうんち・ウンコ族じゃなくて、うんち族とウンコ族で別れてるのかもしれないね」
もしそうだとしたら、と、うんちくんは考える。やっぱりうんち族の方がいいな。だって、せっかくこの世に生を受けておいて、お母さんの顔を見ることもできないなんて、あまりにも理不尽じゃないか。
そんなことを考えながらも、彼はまだ自身の小さな変化に気づいていなかった。
自分の言葉遣い、物事の考え方、出来事への対処の仕方が、徐々に変わってきているのだった。それは簡単にいえば成長なのであり、もうちょっと難しい言葉にすると、成熟ということになるかもしれなかった。
いずれにせよ彼と彼女は、いま急激なスピードで変化し始めていた。
国際交流では、ずっとビビりまくっていたうんちくんだったが、あらためてウンコちゃんを見なおしたところもあった。これまでは、ただ物知りなだけだとばかり思っていたのに、初めて会った相手に対してあんなにポジティブに交流できるなんて、本当にびっくりさせられた。
この広い大海原に飛び出したとき、彼女が一緒でよかったと、本当に心からそう思った。
同時に、これまでに感じたことのない感情が、うんちくんの体の中にムクムクと湧き上がってきたのだった。
(ウンコちゃんを、あんな連中に、もう会わせたくない……)
なぜ? とは彼は考えなかった。確かに彼は急速に成長してはいたものの、自分という存在を、冷静に客観視できるまでには至っていなかったからだ。自身を客観視するには、さらなる成熟が必要だ。
ただ、いま抱きつつあるこの感情が嫉妬というものであり、それは往往にして恋愛感情と密接な関わりがあるかも、という程度のことなら理解できた。
(オレは、あの体のデカイやつらに嫉妬しているのか? ということはオレ、もしかしたら、ウンコちゃんに恋してるのか? そんなバカな! (;´д`)
うんちくんは、そこで頭を抱えた。まるで苦悩するロミオのように。
(うんちのくせに、恋だって? それも、ウンコに対して? マジか……)
そこまで考えたとき、うんちくんはハッとした。お母さんの言葉を思い出したのだ。
(そう、お母さんは言ったじゃないか。広い海まで出たら、あとは自分の本能の赴くままに生きろって!)
彼はそこで、涼しげなまなざしを夢中でエサをむさぼっている、ウンコちゃんの背中に向けた。
(もう迷わない! オレは、うんちくんであるオレは……ウンコちゃんのことが好きだ! 大好きだ!)
「え? うんちくん、いま何か言った?」
ふり向いたウンコちゃんの口から、イカの足がはみ出してニョロニョロと動いていた。
(いや、ちょっと考え直そう……)