● 3 うんちくん、河口をめざす
水がだんだんよごれてきた。水面をとおして、これまで森でみどり色だったのが、なんとなく灰色っぽく変わってきた。
そして、少しだけ息が苦しくなってきた。
「なんか……苦しいよ」
「たぶん、水が汚れてきたからじゃないかな」
そういわれれば、そんな気もしてきた。うんちくんが生まれた川の上のほうにくらべると、水の中はすっかり濁っていて、見えるはんいもすごくせまいのだった。
「街のなかに入ってきたからだよ。人間ってさ、いろんなものを川にすてたり流しちゃったりするから、困ったもんだよね、ほんと。コンビニの袋とか、食べたカップラーメンのカップとか、人によってはおしっことか、ひどい時なんて、う……」
「う?」
ウンコちゃんは両手で自分の口をふさいだ。じっとこっちを見ている。
「どうしたの」
「これは、いっちゃダメなやつなんだ。あたいとうんちくんだけは、これを口にするのはご法度なの。あ、ご法度って禁止ってことだけど」
「なんで?」
「だってこの川が汚れてきた原因のひとつは、あたいたちかもしれないんだから」
いわれている意味がよくわからなかった。けど、この話はこれ以上つっこまないほうが無難だなと、彼の本能がつげていた。
彼女は街というものについて、いろいろ教えてくれた。ビルのこと、車のこと、そして人間のこと−−。うんちくんは、またまた不思議に思った。
(それにしてもウンコちゃん、どうしてこんなにいろんなことを知ってるんだろう? 年だって、僕とそんなに変わらないように見えるのに……)
この話題についても、まだ質問するのは時期尚早かもしれないと、彼の本能がふたたびつげていた。うんちくんの本能が、いよいよ徐々にではあるがはたらきはじめたらしかった。
「ところでさあ、どうして海へいこうなんて考えたの?」
ウンコちゃんが突然いった。話そうかどうしようか迷ったけど、自分が一大決心することになった理由を、誰かに教えたておきたかった。
「お母さんとの約束だからだよ」
彼はお母さんが最後にしてくれた、あの話を思い出していた−−。
「うんちくん、お前はうんちくんとしての誇りをもって生きるんだよ。そして広い世界を見に、そとの世界へでかけてごらん」
ぜいぜいと苦しそうな息をしながら、死期をさとったお母さんがいった。
「それには世界中につながっている海、大海原へ旅だってみるのがいちばんいいと思うの。そして広い世界をその目で見て、大きなうんちくんに成長するのよ」
「どうして、成長しなくちゃいけないの? 僕は生まれたこの川が好きだし、ここからはなれたくない。僕はこの場所とお母さんが大好きなんだ!」
うんちくんがそう聞くと、お母さんは「おやおや、早くも中二病かしら」と、やさしい笑みをうかべ、それからこういった。
「ご先祖さまも、そのまたご先祖さまたちも、わたしたちはもう何万年何十万年も昔からずっと、そうしてきたの。それを、お前の代でとぎれさせるわけにはいかないの」 「僕は、うんちくんなのに? うんちなのに、そんな使命があるの?」 「あたり前じゃない。うんち君、おまえは誇りをもって生きなくちゃいけないんだよ」
「ふぅん」 ウンコちゃんの反応は、想像していた以上にうすかった。自分では、けっこういい話をしたつもりだったのに、彼女はほとんど興味すらないという感じである。
ウンコちゃんはどこか投げやりな、ちょっとはすっぱな調子でいった。 「海へいくのはいいとして、それからどうするつもりなのさ」 「それは……いってみなくちゃわからない。お母さんが、海までいったらあとは自分の本能にしたがいなさいっていってたから。自分の思うがままに行動しなさい、おまえの野性を呼びさましなさいって」 「きみに本能なんてあるの? てか、わたしたちに野性なんてあるっけ?」 しゃくにさわるいい方だった。なぜ彼女はいつも、こんなしゃべり方をするのだろう。それにいつも僕と同じみたいに「わたしたち」なんていうけど、絶対に違うんだよ、うんことウンチは! そう叫びたいのをがまんした。 それにそんなに僕がきらいなら、一緒についてこなくてもいいのに。 「……わかんない。でもお母さんがいったんだから、まちがいないと思うけど」 「さっきからお母さんお母さんって……あ! いま思ったけど、あんた、もしかしてマザコンだったりして?」 呼びかたが「きみ」から「あんた」に変わっていた。格下げされたような気もちになったが、やはりがまんした。 「マザコンってなに?」 お母さんのおっぱいが恋しい男のことをいうんだと、ウンコちゃんは教えてくれた。そういわれてみれば、確かに恋しいような気もするけど、それ以前の問題として、(僕、おっぱいなんて飲んだっけ?)と彼は思った。 うんちでも、やっぱりおっぱいを飲むのかな? ときどき頭にくることもあるけど、でもウンコちゃんはやっぱりいろんなことを知っている。この先、旅でどんな大変な目にあうのか、うんちくんには想像もできない。 きっとそんな時、彼女の知識や知恵が使えるはずだった。