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【おとなげない童話・ん】●13 うんちくん、〈うんちさん〉になる

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(Photo by Pixabay)


●13 うんちくん、〈うんちさん〉になる

 

 季節はめぐりゆく。

 夏は、暑さをしのぎやすいベーリング海、冬はエサがたっぷりのアラスカ海、という行ったり来たりを何年かくり返した。

 

 そろそろ夏がはじまる季節だった。はじめて海へ出てやってきたときとおなじ、ベーリング海に彼らはいた。エサは食べてはいるものの、前みたいに口からはみ出るほどたらふく食べる、ということもなくなっていた。

 ちょうど頭のてっぺんに太陽がのぼっていたので、水深1メートルほどの深さにもぐって、暑さをやりすごしながらウトウトしていた。

 

「ねえ、ウンコちゃん。このごろさあ、なんとなくオレ成長してきたってかんじがしてるんだ」

 ウンコちゃんは小さくうなずくと、うんちくんをじっと見つめた。

「わたし、ちょっと前から考えてたんだけど、もうその呼び方、やめにしたほうがいいんじゃないかな」

「なんの話?」

「わたしは〈ウンコちゃん〉、そして、きみは〈うんちくん〉。おたがいにこの呼び方って、すごく子どもっぽいと思うんだ」

 予想もしていなかったことを急にいわれて、うんちくんはとまどった。わけもなくきまりが悪くなってきて、彼女から目をそらして答える。

「そうかな。オレは別に、このままでも……」

「だいいちもう、うんちくんなんて呼びかたは似合わないよ。だってきみは、もう充分におとなじゃん」

「おとな? オレが?」

 人間であれば鏡というものがあるが、彼は自分のいまの姿を自分で見られないことが歯がゆかった。

「自分でも知らないうちに、自分の呼び方が変わってたこと気づかなかった? 前までは自分のことを僕っていってたのに、いまはオレっていってるじゃない」

 いわれてみれば、たしかにそうかもしれないと彼は思った。ずいぶん長いこと、僕なんてことば、使ってないような気もする。

「そういわれてみればウンコちゃんも、あたいっていってたのに、いつの間にかわたしに変わってるな。わざと自分の呼び方を変えたの?」

 彼女はアンニュイな感じで首を横にふった。

「わざとじゃない。自然にそうなったの。それが成長するってことなんじゃないかな。それにいつだって、男子よりさきに成長するのは女子のほうだもん」

「そうなの? でも、からだはオレのほうが大きいような気が……」

「からだの話じゃない。きもちとか心の話をしてるの」

 彼女は海中をユラユラとたゆたう海藻を見ながらいった。

「きみがまだ子どもだった頃、ウンコよりもうんちのほうが上だって思ってたでしょ?」

 バレていた。彼女のいう通りだ。あのころ彼の中には、まちがいなく自分たちのほうが上だという意識があった。理由もなく。

「けど、いまではもうそんな意識はすっかり消えてなくなった。ちがう?」

「よくわかるな、そのとおりだよ」

 なにげなくウンコちゃんのほうを見ると、彼女はじっとこちらを見つめかえしていた。何か決意のようなものが、そのひとみに宿っているように、彼には思えた。

「きみも、わたしも、変わりはないんだよ。でも同時に、きみとわたしはちがってる。そうじゃない?」

 彼はこくりとうなずいた。彼女のことばは、何から何までいいあてているという気がした。

「ウンコもうんちも同じ。でも、わたしときみはちがう。みんなちがって、みんないい。人類はひとつ、ウン類もひとつ、そして世界もひとつ」

「……?」

 途中から話がわからなくなっていた。

「うんちはウンコ、ウンコはうんち。わかる?」

「…………?」

 うんちはウンコ、ウンコはうんち……なぞの呪文のように頭で復唱してみたが、まるで禅問答の謎かけのようだった。

「よくわかんないけど、つまり、ウン類はみな兄弟姉妹……みたいなことかな」

 彼女はケラケラと、楽しそうに声をあげて笑った。

「あたらずとも遠からず、ってところかな」

 うんちくんが無意識にいだいていた小さな違和感は、広いこの海でともに命がけ一生けんめいに生きるうち、きれいさっぱりと消えていた。

「わたしはこれから、きみのことを〈うんちさん〉って呼ぶことにするね。わたしのことは、きみの好きな呼び方で呼んでいいから」

 少しだけ考えてから彼は答えた。

「それじゃ、ウンコさんでいいかな?」

 彼女はにこりと笑った。どうやら正解だったらしい。

「どっちも〈さん〉がつくけど、でも〈うんち〉と〈ウンコ〉のところはちがってる。ほんとうはわたしたちにも、名字があるとよかったんだろうけど、それはそれでまた面倒な問題もあるみたいだから、とりあえずそれでいきましょうよ」

 彼と彼女はほほえみ合った。どこか深いところで、はじめてわかり合えた気がした。そして呼び名が変わったことで、うんちくんはひと皮むけたような思いがした。

 

 彼と彼女が成長したことで互いの呼び名を変えたことは、とてもよろこばしい。ただ、残り少なくなってきたこの物語を進めていくうえで、多少なりとも愛着のある三人称として、以前と同じく〈うんちくん〉〈ウンコちゃん〉と記すことをお許し願いたい。

 

 −−そしてしばらくたったころ、彼女がポツリともらしたことばを、うたた寝していた彼は聞いていなかった。

「時間はもう、あまり残されていないのかもしれない……」