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●11 うんちくん、襲撃者に遭遇!
海の水がさらに冷たくなってきた。
南から吹いてくることが多かった風も、北や西の方向から、少しずつ強くなっていた。2人を震えあがらせるような水と風は、冬がもうすぐそこまで近づいていることを告げていた。
うんちくんは、かじかんだ手に息をはきかけながらウンコちゃんに聞いた。
「寒いよね? もうすぐ冬だよね? オレたち、こんな寒い海にいるけど、大丈夫なんだよね?」
「そんなことわたしに聞かれても……うんちくんは広い海にでたら、あとは自分の本能にしたがって生きるようにって、お母さんにいわれたんでしょう。その本能とやらは、どうしろっていってるわけ?」
ちょっとはすっぱな感じで、ウンコちゃんは聞き返した。うんちくんは困ったような顔でいった。
「それがさ、最近さっぱり本能が発動しなくて……」
「ヌルい生活をしすぎてるからじゃない?」
痛いところをつかれた感じだ。たしかに、あたたかい季節がつづいていたし、エサだって食べきれないほどあったから、その日暮らしをしていても、なにも心配することなんてなかったのだ。
でも、それはウンコちゃんだって同じじゃないかと、内心思った。だいいちオキアミとかイカとかを食べすぎて、便秘になったのはそっちじゃないか。
ふと見ると、波のあいだに白いものが浮かんでいた。
「うわー、きれい! あの白い花みたいに見えるのは、なんだろう?」
彼らの周囲で高くなってきた波が、うねりをともなってきて、波間に白い泡のような塊を作り出していた。波の華と呼ばれる自然現象だった。紅藻類カクレイト目の海草の別名でもあるが、日本では主に中部地方付近の海の岩場などに着生する植物である。
しかし二人がいるのは北の海域であり、この冷たい海流のエリアに生息しているとはとても思えない。ここは北の海で厳寒期の頃に砕け散った波が、花のように舞い飛ぶようすを表す、たとえとしての「波の華」と考えたほうがよさそうだった。
ぼんやりと波の華を眺めていたとき、唐突にうんちくんの中にあるモーレツな衝動が動き出した。
「ウンコちゃん、オレたちはここにいちゃダメだ!」
「どうしたの急に。別にここでいいじゃん、食べ物はいっぱいあるし、水の温度だってちょうどいい感じだし」
うんちくんは、みずからの心の声に耳を澄ませた。
それが、久しぶりにはたらきはじめた本能なのかはわからなかったが、明らかに心はざわついていた。じっとしていられないほどだった。
「これから本格的な冬がやってくるんだ。このベーリング海は、特に寒い冬には結氷することもある。そうなったら身動きがとれなくなるし、エサだって食べられなくなる」
「どうしてそんなことが……あっ! もしかして、本能が故郷へ戻れっていってるとか?」
「いや、まだ戻れないよ。まだそのときはきてないんだ。そうじゃなくて、もっと先へ進めって誰かにいわれてる気がする」
「もっと先っていうと、また故郷からはなれてしまうって意味? なんだかわたし、心ぼそくなってきちゃったな」
心配そうな彼女をはげましながら、さらに先の海をめざすことになった。
久しぶりの長旅だった。最初こそはりきっていたものの、すっかり疲れきったうんちくんは、水面近くでウトウトと惰眠をむさぼっていた。
そのとき、はるか上空でおおきな黒い影が旋回していたことに、彼らは気づくよしもなかった。
その大きな影は、突如急降下をはじめた。驚くほどのスピードで、その影は海面にただよううんちくんに迫っていた。
バッシャーン!!
大きな水しぶきがあがった。大きな影は、ふたたび空へ舞いあがっていった。太い脚の先についた鋭いかぎ爪に、何かが付着していた。
数秒前に巻き戻して見てみよう。スローモーション再生で−−。
異変に気づいたウンコちゃんが、上を見る。びっくりしたウンコちゃんだったが、反射的にうんちくんへの体当たりをかます。次の瞬間、鋭いかぎ爪が海面に突き刺さった。
彼女がすんでのところで、ぶつかってくれたことで、彼は紙一重で助かったのだった。
「痛っ!」
うんちくんは顔をゆがめた。背中(?)のあたりがズキズキと痛んだ。
「爪で切り裂かれたんだよ」
「爪? どう、傷は深いかな?」
「ううん、傷は浅いから大丈夫。でも、捕まらなくてよかった。捕まってたら食べられてたかも」
「あいつ、いったいなんなんだ?」
「たぶん、オジロワシっていう大きな鳥じゃないかな」
いつか国際交流を楽しんだとき、アラスカ生まれのサカナの彼が、このへんでオジロワシに食われるやつが多いから気をつけろ、そう教えてくれたそうだ。
オジロワシは尾白鷲と書くとおり、褐色の体と白い尾を持つ猛禽類の仲間である。全長は90cmにもなり、羽を広げたときの長さは2mにもなるという大型の猛禽類の仲間で、大きな魚や水鳥、ときに海生哺乳類を襲うことさえある。北海道北部や東部に冬鳥として飛来し、天然記念物に指定されている。
オジロワシのエサになることから、かろうじて逃れたうんちくんだったが、背中(?)の傷はなかなか治らなかった。