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『その男、椎名』第2章–2 長編小説

『その男、椎名』第2章–2

 

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     †

 

「葉山は海の街だけど、実は山の自然も豊かでね。この辺から鎌倉あたりにかけては森に囲まれたお寺なんかも多いんだ。俺と女房は寺社巡りが好きで、仕事が休みの日なんかはよく出かけたもんだよ」

「地元のお寺や神社が多かったんですか」

「この辺もそうだけど、京都の神社仏閣が好きで何度も行ったよ。でも観光客がいっぱい来て並んでるような有名どころは嫌いで、地元の人しか知らないようなひっそりとしたお寺さんなんかがいいんだな。うちの女房も同じ意見で。だってお寺とか神社は観光施設じゃなくて、そもそもは宗教施設なわけじゃない」

 奥さんとの思い出を語る漆原は穏やかな顔をしていた。まだ三十歳にもなっていない椎名にとっては渋い趣味と感じられたが、彼と奥さんがどれほど寺社の静謐な雰囲気を愛していたかは伝わってくる。

「それでね、俺たちがずっとつづけてたことがあったんだよね」

「神社仏閣巡りの際に?」

「そう。当ててみて」

 クイズ形式できたか。椎名はクイズが苦手だった。何故なら、他人が考えた答えをもとに、その他人がクイズとして作ったものだからだ。自分ではその答えに納得できなくても、クイズという形式の中においてはそれが絶対的な正解となる。その不条理が許せなかった。

「ヒントはありますか」

「ヒントか、ヒントねえ……そのお寺や神社に俺と女房が確かにお参りしたんだ、という記念かな」

「ああ、それならわかったかもしれません。例えば神社だったら御朱印集めとか、寺ならお守りを買ってくる。そうじゃありませんか?」

 漆原は急にうれしそうに笑うと、一拍おいて「ブブー!」といった。

「あれ、違いますか。おかしいな、当たったと思ったんだけど」

「惜しいといえば惜しいかもしれないけど、逆なんだよ。その場所へ行った記念に何かを持ち帰ってくるんじゃなくて、置いてくるんだ」

「置いてくるって、何を」

「石」

 あまりに予想外の答えだったため、頭の中に小さな空白ができた。

「海辺の街だからよく海岸を散歩するんだけど、小さな流木とか変わった形の石とかを拾ったりしてたの。その中から気に入った石を持っていって、お寺さんや神社の片隅に置いてくるわけ」

「持ち帰るのではなく、置いてくる。なかなか変わった趣味で……」

 何気なくそう口にしたとき、椎名の頭の空白部分に別の何かがするりと入り込んできて、弾けた。

 犯人は犯行現場から証拠となる品を持ち去って、証拠隠滅を図ろうとする。一般的にはついそう考えがちだ。しかし、何かを置いてくるということも考えられるのではないか?

 漆原はまったく意識していないだろうが、椎名は彼のいまの話からそんな示唆を受け取った気がした。

 何かを持ち去る、あるいは何かを置いてくる。二日間降りつづいた大雪という特殊な状況下において、犯人にはそのようなことも可能だったのではないか。

 筆記具を握る手のひらに、じわりと汗が滲んでくるのを感じた。具体的に何がどうとまではわからない。

 だが自分はいま、少しずつ真相に近づいているのかもしれない。単なる直感に過ぎないがそう思った。椎名はこの思いつきをノートに書き込んで、後で見落とさないようにぐるぐると大きな丸で囲んだ。

「どうしたの急に黙り込んじゃって。俺、なんか変なこといったかな」

「いえ、全然そんなことありません。すごく助かりました」

「助かった? 刑事さんの捜査の役に立つようなことなんて何も」

 不審気に眉をひそめていう。

「気にしないで下さい。それよりさっきの石を置いてくる話ですけど、やりはじめたきっかけって何だったんですか」

 すっかり忘れていたという顔で、漆原は笑みを浮かべていった。

「うん、枯れ木も石も拾いすぎてもういっぱいになってて、実は置き場所にも困ってたくらいなの。うちは全然広い家じゃないから収納スペースだって狭いしね。だったら拾ってくるなって話なんだけど、そこがほら根っからの貧乏性ときてるもんだから、ついつい。もともとは自然の中にあった自然の石なんだけど、いったん自分の所有物になったと思うとなんだか愛着がわいてきてさ、捨てるのが忍びないって気分になってくるんだ。不思議なもんだよね」

「そういうものですか。私はわざわざ石なんて拾ってみたこともないので、その気分というのはいまいちわかりませんが」

 彼はもう一度、不思議なんだよと繰り返した。

「それであるとき女房と一緒に海岸散歩してて、また性懲りもなくきれいな石を一個拾ったの。そこから歩いていける距離のお寺さんまで足をのばしてみようってことになって、お参りした帰りがけに彼女がいったの。さっきの石ここに置いていかないって。これ以上増やすのも本意じゃないし、そうだなって境内の玉砂利の端っこのほうにそっと石を置いてみたわけ。そうしたらお寺に自分たちの分身というか、魂の一部というか……小さな石の話が随分と大げさなことになってきたぞ、こりゃ」

 漆原は自分で突っ込むと、楽しくて仕方がないという感じの笑みを浮かべた。

「とにかく自分たちの一部をお寺においてきたような、預けてきたような、そんな心持ちになったわけ。で、それを女房に話してみたら、自分もそんな感じがするなんていって、これはいいぞってことになって。それからは近くでも遠くでも神社仏閣に行くときは、欠かさず石を持参することになったんだよね」

 

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「なるほど。それで集めていた石も少しずつ減っていって、一石二鳥というわけですか」

 そうそう、と笑う。

「その習慣はいまもつづいているんですか」

 こくりと頷くと、今度は真顔になった。

「あいつはいなくなっちゃったけど、二人ではじめたことだからいまもやってる。でもさ、どういえばいいのか……一人で石を置いてくるってのは淋しいね。空しいとまではいわないけど、うん、淋しい」

 夫婦というのは楽しいことは倍になって、苦しいことは半分になる。そんな話を聞いたことがある。それが突然独りになってしまえば、どちらも一人で引き受けざるを得なくなる。

 いまの漆原の心境はそれに近いのだろうかと、独身者の椎名は想像してみる。

「なんかすっかり話が脇道にそれちゃったねえ。わざわざ東京から来てもらったってのに、こんなことばかり喋ってたんじゃ申し訳ないから、どぉれ、せいぜいくたびれた脳みそ絞ってもう少し刑事さんの役に立つこと思い出さなくちゃな」

「あまり無理しなくていいですから。漆原さんの話は警察ではもう何度も伺ってるはずだし、こんな言い方をしては失礼かもしれませんけど、これからそんなに新しい発見や証言を得られるとはあまり期待してないので」

 漆原はまた不思議そうな顔をこちらに向けた。

「期待してないのに、しかも非番の日だっていうのに、えーと、椎名さんっていったっけ? なぜ俺なんかに話を訊きにきたのか、それがわからないよ」

「事件捜査でよく使われる言葉に、現場百遍というのがあります。これはもちろん事件現場には何遍でも通えという意味でもありますが、目撃者や証人、つまり人に対しても何度でも会いに行け、そういう意味だと私は解釈しています」

「でも椎名さんはこの事件は担当してない。しかも非番なんでしょ」

 こくりと頷く。この後につづく言葉はだいたい見当がついた。

「自分の仕事でもなくて当番じゃない日を使ってまで、本当は関係ないはずの事件について捜査してる。なぜなの?」

 どう答えるべきかしばし迷ったが、突き詰めれば理由は一つしか思い当たらなかった。

「絶対に解決されるべき事件だと考えてるからです。そのためには当番も非番も関係ない、私はそう思ってます」

 彼は数秒目を見開いてから呆れたようにいった。

「昔モーレツ社員って言葉がはやったことがあるけど、椎名さん、あんたの仕事好きも相当なもんだねえ」

 漆原はそこで身を乗り出した。

「話を聞いてたら、俺も何だか頑張って役に立ちたいって気分になってきた。こう見えて俺も若い頃はかなりの仕事人間だったから」

 にやりと笑う。椎名も笑みを返した。

「ただうんうん唸って考えるだけじゃ能がないから、もう一回順番に思い出していくことにするか。いいかい?」

「時間はたっぷりありますから、ぜひお願いします」

「東京へ行くまでのいきさつはさっき話したからいいとして、東京で乗せた客を一人ずつ憶えてる範囲で話してみるか。ああ、話の途中でも構わないから気になるところがあれば、じゃんじゃん質問してもらっていいから」

 椎名は頷いた。

「さっきもいった通り、あの女の人を拾う前に都内で乗せた客は四人。これは俺の記憶じゃなくて、会社の自動日報システムで警察の人も確認したから間違いない。一人目のことはうれしかったからよく憶えてんの」

「うれしかったというのは?」

「だってほら、せっかく東京まで行ったんだから何人かは客をとって帰りたいじゃない。空車のまま地元まで帰るなんてこともよくあるしね。東京はいま景気がいいし。で、一人目は背広を着たサラリーマン。記憶にあるのは、スマホですごくでかいお金の取り引きの話をしてたこと。五億だの十億だのって単語がぼんぼん飛び出してくるわけ。あれ多分お金の話だと思うんだ。まさか五億人十億人の貧しい人々を救いましょうって話じゃないだろうからさ」

 この漆原という男には巧まざるユーモアのようなものがあった。確かに伝統話芸に通じるものを感じる。

「それで俺もびっくりしたから、電話が終わった後で尋ねてみたの。どんなお仕事してるんですかって。でもこれは長い運転手経験からの結論だけど、裕福な人はほんとタクシーに乗ると喋りたがらないよ。時は金なりだから運転手と会話するなんて時間の無駄だと思ってるんだろうね。その男も案の定、商社だって答えただけであとはスマホ画面を操作しはじめて」

「あとは話しかけなかったんですか」

「話しかけない。おれの仕事は目的地まで安全スピーディーに送り届けることで、客を楽しませることじゃないから。それにああいう人は次に話しかけても、無視するタイプだよ。それにしても大きな金の話をしてる人は総じて品がない。だけど、いかにも仕事ができそうなタイプだったのは事実。四角くて頑丈そうなケースを大事そうに座席においてたな」

アタッシェケースですか?」

「そうそう、それ。契約書かなんか重要な書類でもはいってたんじゃないの」

 プロの運転手は本当に侮れない。皆が皆ではもちろんないが、乗客のことをよく観察している。

「一人目で憶えてるのはそれくらいかなあ。じゃあ次ぎ、二人目いこうか。一人目でちょっと嫌な思いをしたから、二人目はあんまし記憶がないんだよねえ。男の人だったはずなんだけど……最初で懲りたから話しかけなかったし、多分ひと言も会話してないんじゃないかな。ただ、東京の人間は洒落てるなって感じた憶えがあるから、ちょっとばかり恰好いい服でも着てたのかもしんないな。となると、比較的若い男だったのかな」

「例えば帽子をかぶっていたとか、コロンのようなものをつけていたとか」

「帽子……コロンねえ。やっぱりこれ以上は無理だな」

「仕方ありませんよ、何しろ何ヵ月も前のことなんですから。こちらが無理をいってるのは充分承知してるつもりです」

 漆原はそこで急に背筋を伸ばしていった。

「よし、三人目といきたいところなんだけど、これは女の人だったんだけど初めに誤っとくわ。こっちもまたほとんど記憶にございませんって、どこかのへっぽこ政治家の答弁みたいになっちゃって申し訳ないんだけど……あ、ちょっと待った!」

 不意に大声をあげたのでウェートレスがこちらを見ている。慌てて漆原は、違う違う、ごめんなさいとジェスチャーゲームのようなポーズをとった。

「いま突然思い出したんだよ。亡くなった女房のことを思い出して、ちょっとブルーというか気分が沈んだのを。そうだ、三人目は中年の女性で年格好少しだけうちのに似てて、それで反射的に女房のことを連想したんだよ。いやー、それにしても何回も聴取で喋ってても思い出せなかった記憶が、こんなところで突然甦るなんて自分でも本当にびっくりだよ。こんなこともあるんだなあ」

 しみじみと自分に語りかけるようにいった。

「さっき奥さんの思い出話をされたから、それで連想の糸が繋がったのかもしれませんね」

「ああ、そうだね。うん、きっとそうだ。いやあ新しいことを思い出せてなんだかすっきりしたよ」

「本当によかったですね」

 椎名がそういうと、彼は心から晴れ晴れしたという感じで笑った。