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【おすすめ傑作選◉読書】『ねじまき鳥クロニクル』 村上春樹

●『ねじまき鳥クロニクル 第1部〜3部』 村上春樹著 新潮文庫

ねじまき鳥クロニクル 全3巻 完結セット (新潮文庫)
 

村上春樹の変貌を象徴する小説

 「第1部泥棒かささぎ編」「第2部予言する鳥編」「鳥刺し男編」からなる長編小説だ。この小説を初めて読んだときの感想は(いやあ、これはびっくり……)というものだった。
 同時に、やっぱりなという感じもした。若いころから好きで読んできた著者ではあるが、村上春樹はこのあたりから変貌しつつあると実感した。こちらはまたあらためて紹介しようと思うが、『海辺のカフカ』とつづけて読んでみるとはっきりとわかる。
 「井戸」、「(突然の)理不尽な暴力)」、「動物の比喩の援用」など、用いているイメージやモチーフは、こういう書き方もアレだが、昔からさほど変わってはいない。でも確実に深化している。
 小器用にまとまるという世界からはどんどん離れていて、混沌としているようにも見えるし、混乱しているようでもあるのだけど、最後まで読めば張られていた伏線(というか布石か)はきっちり収束している。しかし、部分部分ではある程度論理的に解明されているくせに、全体を通して見ればまったく解決からは程遠いのだ。

 

ねじまき鳥の「ノモンハン」と海辺のカフカの「戦争の兵士」

 小説内で進行してゆく混乱の大きさと、着地した場所で得たラストとの落差が大きすぎるというか。しかし、それは現実の人間と社会の写し絵でもあるのだ。それがゆえに、誰も到達していない地点(あくまで私の知る狭い範囲の話だが)にひとり立っている、というような手ごたえやイメージが残る。

 ねじまき鳥では「ノモンハン」、カフカでは「戦争の兵士」が出てくる。ただ、過去の歴史上の出来事として出てくるのではなく、現在の話の中で、生々しい現実として出てくる感覚がある。
 これはたんなる想像だが、大学紛争の時代のただ中にいた大学生時代、著者が感じた「体制」と「反体制」のどちらにも疑問を持ち、そして解答も持ちえなかったという違和感をずっと持ち続けていて、それを小説という虚構のなかに描こうとしているのではないだろうか。

 

 きわめて質の高い日記、あるいは、独白のような小説


 この小説を読んでいた間中、感じていたことがある。読みながらこれほど疲れたと感じさせられる小説は、他になかったということ。著者という個人の内面に深く入りこむことを余儀なくされたうえ、著者の精神的な遍歴、逡巡、迷い、苦しみ、そんなものの一切合切が読む側にまで乗り移ってきている。そんな気にさせられた。
 商品としての小説というよりは(商品には違いないのだが)、きわめて質とレベルの高い日記のような、独白のようなものを読ませられている感じ、とでもいえばいいだろうか。『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』を併せて読むと、さらにその感を強くする。