『龍は眠る』 宮部みゆき

- 作者:みゆき, 宮部
- 発売日: 1995/01/30
- メディア: 文庫
好きな小説は、再読するとさらに良さがわかる
久々に本の紹介をしたい。またまた大好きな宮部みゆきである。この著者の小説は何度か紹介していて、そのほとんどを複数回読んでいるが、今回も再読してみての感想だ。
人の心を読めるという、特殊な能力を持った少年が主人公で、著者は初期の頃からこの題材で何冊も書いている。ストーリーとして大まかに紹介すると、2人の超能力者と出会った1人の少年の視点で物語られていく。
主人公の昭吾はある嵐の日に、自転車がパンクして困っている少年・慎司と出会う。彼を介して知り合ったもう1人の能力者・直也は、超能力そのものの存在を否定するが、実は直也のほうがはるかに強い力を持っており、それゆえに過酷な体験をしてしまうという過去を持っていた。
ここに誘拐事件がからんできて、ミステリーとしてストーリーは動き始める。超能力を持つ少年という設定は、『蒲生邸事件』や『鳩笛草』でも使われている。しかし特殊な能力を持ってしまった者の苦しみに比重がかけられているのが、この著者の真骨頂ともいえる。
描かれるのは特殊な能力を持つことの「苦悩」
「人の心が読める」という一見すると魅力的な部分が、つまり読んでいるこっちが(心を読めたら面白そう……)と思っていると、著者は「特別な力を持つということは苦しいことの方が多いんだよ」と語りかけている気がする。
持てる者と持たざる者、そのどちらかが100%優位ということなんかない。どんな物事にだって、光が当たる部分があれば、それによってできる影の部分は絶対にある。光が強ければ強いほど、その闇は濃く、深くなる。
ストーリー中、「慎二がいたら、好きになっちゃったんだねと言われるかもしれない」という表現がある。これはその登場人物の感情を表していると同時に、心を読める少年の存在感を強調することにもなっている。本当に巧みだ。
「視点人物」の扱い方のうまさ
創作的な立場からの感想を少しだけ書けば、小説のなかには「視点人物」という存在がいる。これは必ずしも主人公という意味ではなくて、作者がストーリーを前へ進めてゆくために最適な登場人物を選んで書くわけである。
本作はこの視点人物という側面で考えると、三人称一視点で叙述されているのだが、読んでいくうちになぜか複数の視点で語られているような錯覚をおぼえる。なぜだろう? と思うのだが、これもまた著者の高い小説技術のなせる技だろうか、と思ったりもさせられた。
大人はもちろん、思春期の若い人たちにもぜひ読んでほしいミステリー小説だ。
・第45回日本推理作家協会賞・長編部門受賞
・1991年「週刊文春ミステリーベスト10」 第1位
・1992年「このミステリーがすごい」 第8位

- 作者:宮部 みゆき
- メディア: 文庫