世界の裏庭

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『大誤解』11

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「何があってもそいつを探し出すよ。絶対に、警察より早く」
 絹江が声を抑えてどなった。そして直後に頭を抱えた。ぶつけた傷に響いたのかもしれない。
 翌日の午前中、修三はふたたび病院を訪れていた。絹江のけがはひどいものではなかった。脳しんとうで気を失ったため、救急車で集中治療室へ運び込まれる事態になったようだが、脳波にも異常は見られなかった。経過観察のため数日間の入院が必要だが、六針縫った傷口が落ち着くまでということで、その程度ですみそうだという。
 病室では他の患者がいるということで、修三は絹江と食堂にいた。
「ただじゃおかないから、あんちくしょうども」
「それは私も同じだ」
「やめておくれ、病院に来てまでその気取ったしゃべり方をするのは」
「どういう意味だい?」
「だからその、『意味だい?』っていうような話し方のことだよ。前々から気にさわってしょうがなかったんだ。男が『私は』なんていうのも気に入らないね」
「道路に頭をぶつけたせいで、おかしくなったのか?」
 本気で心配して修三は言った。
「馬鹿にしてるのかい、あんた。もういいよ、とにかくバッグを奪ったやつらを捜し出す」
「具体的には?」
「だから何かいい知恵はないかって言ってるの」
「頭を使うのはあんたの仕事だったはずだろう」
「あたしは頭をぶつけてそれどころじゃないんだ。いまだって包帯で巻かれたこの頭の中で、ハエかハチがブンブン飛び回ってるみたいにうるさくてかなわないん。少しは楽をさせてほしいもんだよ」
「私は鍵を開けるのが専門だ。どこの誰かもわからないこそ泥を見つけるのは専門外だ」
 修三がコーヒーを飲むと、絹江は苛立たしげにオレンジジュースの氷をかき回し、窓の外を見た。アキラが起こした事件と自分のひき逃げ事故について、まだ彼女に話していなかった。しかも絹江はほぼ同じ頃、引ったくりに金を奪われて怪我までしている。とても知らせられる状況ではない。三人三様に起きた出来事をそのまま話したりしたら、それこそ脳の血管がぶち切れて一巻の終わりになるかもしれない。
 かといって、このままずっと話さないというわけにもいかない。怖いから新聞もニュースも見ていないが、ほぼ同じ時間に連続した事件だし、報道されているのは間違いない。引ったくりの件は被害者の立場だが、その被害にあったのが強盗で奪った金だというのだから笑い話にもならない。
「とりあえず昨日、知り合いに訊いてみたの。心当たりはいないかってさ」
「引ったくった奴らのことか」
「そう。でも、思い当たるふしがないらしいの。だからいまつてを頼って、ある筋からネタを集めるため手を回してるところ」
「ある筋って、どんな……」
「誰に聞かれてるかわからないんだから、うかつなことは聞かないで」
 食堂には一番すみの席に老夫婦が一組いるだけだった。
「とにかく今日か明日には目星がつくだろうという答えだったから、それまで待っててほしいのよ。わかり次第、あんたたちに大車輪で働いてもらわなくちゃいけないから」
「ちょっと待て、どうして私がそいつらを捜さなくちゃいけないんだ。そんな義理はないぞ」
「義理って、あんたねえ、せっかく手に入れたお宝をくれてやるつもり? どこの馬の骨だかわからない奴らにみすみす横どりされて泣き寝入りしろって言うのかい? 面子が立たないよ、あたしらはプロなんだから」
「絹江さんがあれを持っていくといったのが一因と考えられなくもない」
「またまどろっこしい言い方して。なくもないとか訳のわかんないしゃべり方じゃなくて、あたしが原因って断言しなさいよ」
「それじゃはっきり言わせてもらう。この件は絹江さんの責任だ、私が手を貸すべき問題じゃない」
 そう口にしてから、まずいなと思った。絹江を怒らせてしまえば、ますます自分とアキラの過失を言いにくくなる。しかし、と同時に自分に言い訳をしていた。自分の件は強盗そのものとは無関係なのだ。アキラの事件に関してもそう。
 いくらチームと言ったところで、自分たち三人は、家族でもなければ仲良しグループでもない。傷害事件も轢き逃げ事件も、あくまでそれぞれが引き起こした個人的な出来事だ。しかしバッグが引ったくられた事件は明らかにチームの問題だ。それも大問題といっていい。
「なら、あたしが自分で捜せっていうんだね。頭に大けがして入院してるあたしに、自分で歩いて捕まえろってか?」
 怒りと懇願が入りまじった目で修三を睨んでいる。
「まあ、今回に限り手伝ってもいいが」
「やっぱりあんた、思った通りいい男だわね」
 修三の手に絹江が手を重ねてくる。慌てて手を引いて告げた。
「ただし一つ条件がある」
「そうくると思ったよ。何を言ったところでドジったのはあたしなんだから、たいがいのことならする用意はあるからさ。何でも言ってちょうだい」
 この女には勝てないと思った。肚の太さと負けん気の強さは明らかに自分にはない資質だ。
「今回で、あんたと組むのは最後にしたい」
 絹江の表情には特に変化がなかった。驚きを隠しているのか、それともまったく驚いていないのかわからなかった。
「そういう条件ならやってみてもいい」
「どっちにしたって、これで最後にするつもりだったんでしょ? あたしと組むのは」
「知ってたのか」
「いったい何年の付き合いだと思ってるの、あたしとあんた」
 ジュースを一口飲む。
「一年ぐらい前から勘づいてたよ、薄々。だってあんたは真っ正直な男だから、思ってることがすぐ顔に出ちゃうじゃない」
「正直な人間は泥棒などしないと思うがな」
 突然絹江が、手を叩いて笑った。老夫婦が驚いてこちらを見ている。
「やっぱり面白い男だね、あんた。とにかく頼んだよ。面倒な話は事が終わったあとにして、まずはお宝を取り戻すのが先決。ぐずぐずしてると、いまどきの若い奴らなんてすぐに散財しちゃうんだから、あれぐらいの額は」
 絹江が真顔になった。言われてみれば確かにそうだ。二人組の引ったくりが山分けしたとして、一人二百五十万円ずつ。その気になって豪遊したり買い物したりすれば、あっという間に使い切れる額だ。一日でも早ければ早いほど戻ってくる金は多くなる。
「行動を起こす前からこんな話もなんだが、身許がわかったとしても犯行を認めなかったら?」
「何すっとぼけたこと言ってんの。認めるとか証拠とかそういうのは警察の仕事でしょうが。あたしたちがすべきなのは売上を取り戻すことだけ。じゃなけりゃお給料は出ない、でしょ?」
 強盗は仕事、盗んだ金は売上、分け前は給料と呼ぶのが、絹江との間の隠語だった。アキラはばからしいと言って使おうとしなかったが。
「給料は出なけりゃ困るが、それがどこにあるかわからなければ、取り戻そうにも取り戻せない」
「そんなのは、絞り上げて吐かせりゃいいじゃない。男でしょ」
「荒事は性に合わない。だからこういう仕事をやってる」
「それじゃあ、あたしたちのお仕事は荒事じゃないの?」
 言葉に詰まったので、立ち上がって言った。
「とにかく何かの情報が入ったら私の携帯に連絡をくれ。とりあえず動くだけは動いてみる」
 今日中には連絡が入る予定だという絹江の言葉にうなずいて、修三は病院をあとにした。