世界の裏庭

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『大誤解』10

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 もともとは三人のチームだった。絹江と修三、そしてもう一人の男、橘だ。
 ところが七年ほど前、強盗に入った家で主人の激しい抵抗にあい、橘が相手の男を包丁で殺してしまった。強盗殺人の指名手配を受けた橘はしばらく東北各地を逃げ回っていたようだが、青森県の海辺の温泉にいるところを通報され、警察に逮捕された。橘は一貫して、すべて自分一人での犯行だとの主張を頑として曲げなかった。
 警察は複数犯による犯行との見立てだったが、検察側が公判に入ってから本人の証言がくつがえるのを怖れ、公判維持のため単独犯による犯行として起訴した。前科一犯で余罪もいくつか供述し、現在も服役中である。その当時は三人の役割分担がはっきりしていた。修三は外での見張り役だったし、絹江は家の玄関までは入るものの靴は脱がず、万が一の訪問者に備えていた。警察が捜査で室内に橘の遺留品しか見つからなかったのはそのためだった。
 結果的には橘に助けられた絹江と修三だったが、逃亡生活に入る直前、最後の電話があった。橘は、絹江と修三それぞれに同じ内容を告げた。
 息子が一人前になるまで、自分の代わりに面倒を見てやってくれないか。それがいまのアキラだ。リーダーは絹江に変わり、仕事のやり方を根本的に改めた。橘は勘の良さと度胸で、どちらかといえば行き当たりばったりで盗みに入る家の選定をしていたが、絹江は周到だった。事前の情報収集に力を入れ、尋常ではないほど念入りに自ら何カ月も下見をくりかえし、狙う家を絞った。
 おかげで盗みに入る回数は減ったが、外れを引く確率はぐんと減った。実入りは多少減ったが、その分リスクも確実に減ったことになる。経験がないくせに反抗心ばかり強い若者を仕込むのは、思いの外大変だった。アキラは父親の仲間だった事実を知っているのか知らないのか、修三にも絹江にもわからなかった。現在に至るまでその話を持ち出したことはない。
 三人で仕事をはじめた当初、修三は絹江に何度となく苦情を言った。面倒を見るというのは仕事を仕込むという意味ではないはずだ、と。このままだと自分たちは、あの小僧のせいで近い将来ドジを踏むだろう。何より不満だったのは、絹江らしからぬ仏心を出して橘の息子を受け入れたことだった。悪事を行うとはいえプロの集団なのに、情実を交えるとは何事かと何度も詰め寄った。絹江の答えはいつも同じだった。
「橘がいなかったらいまの自分はない。もちろん、あなたも」
 橘への恩義は、修三だって感じていないわけではない。それどころか、裁判で十三年の実刑判決が言い渡されたと知ったあと、橘の銀行口座を絹江に教えてもらい、自分の口座から三百万円を振り込んだ。それほど橘に感謝していたのだった。
 しかし、それとこれとは話が別だ。せっかく庇ってくれたのに、自分たちばかりか息子までみすみす警察に捕まるようなやり方をしていたのでは、逆に橘の恩義に背くことになる。何より、まだ未熟で半端な人間と組むのは、修三のプロとしての自意識が許さなかった。
 だから言わないことじゃないんだ。こういう不運の偶然というものは確かに起こるし、あり得ることなのだ。

 修三とアキラは互いを無視したまま一時間半ほど過ごした。やはり絹江は来なかった。電話もつながらなかった。人が動く気配がしたのでリビングへ行くと、アキラが出ていこうとしていた。
「どこへ行く」
「あんたにゃ関係ねえだろう」
「もし彼女が来たときのために親切で訊いてやってるんだ。分け前はいらないということか」
「どうせあのおばさんは、もう来ない」
 アキラはガラス玉のような目でこっちを見た。生気もなければ人間らしい感情も見あたらない目ん玉だ。
「もしもババアがここへ来て金も持ってたら、俺の分はあんたに恵んでやる。ありがたく思えよ。どうせこのチーム解散だろ?」
「この……」
 罵倒の言葉を発する寸前、やつの姿はドアの向こうに消えた。歯噛みしたい気持ちはあったが、どこか居心地の悪さもある。アキラは今日のアガりをいつものように絹江が持っていったとばかり思っていた。だが今回は例外的に、重いインゴットを修三が持っている。アキラに話さなかったとしても問題はないが、しかしそれは絹江に何事もなければという前提の話だ。
 自分はどうしてその話をしなかったのだろう。まあいい、いまはそれどころじゃない。気をとり直して、さてどうするかと考えはじめた。

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 考えた末に修三が辿り着いた結論は凡庸なものだった。それは、絹江の自宅に電話をかけてみるというものだった。緊急連絡用に絹江の自宅の固定電話の番号は知っているものの、これまで一度もかけたことはない。というのも絹江は公私を極端に分けている女で、絶対にかけてくるなと釘を刺されていたからだ。情報収集や細かな計画を練るのは絹江の役目で、自分の存在価値は指先の技術にある。
 ではなぜ知っているかといえば、一つぐらい彼女の弱みを握っておいた方がいいと考えたからだった。何年か前、興信所を使って住所と電話番号を調べ上げておいたのだ。絹江については経歴や過去も含め、わからないことが多い。そもそも家族がいるのか、なぜ女がこんな仕事に手を染めているのか、どこで生まれ育ったのか等々。
 もっとも相手にしたところで、修三についてもほぼ何も知らないだろうからおあいことだが。つねに万が一のことを念頭に置かざるを得ないから、互いの身辺に関する情報は少なければ少ないほどいい。携帯から電話をかけてみると、驚いたことに若い女が出た。
「あの、坂井さんのお宅ですか?」
「そうですけど」
 どこか疑わしげな、落ち着かないような声だった。
「わたくし、絹江さんの友人で番場といいますが、絹江さんはご在宅でしょうか」
「母ですか? 母は」
 相手は数秒言い淀んだ。
「あの、どういったご用件でしょう。よろしければ伝えておきますが」
「いえ、直接お話ししなければならないもので。では、戻られたら電話をもらえるよう伝言してくれませんか」
「あの……しばらく戻れないと思いますけど」
「しばらくというと?」
「わかりません。病院に行ってみないと」
「病院? 病院って、絹江さんがどうして病院に?」
 数秒の沈黙があった。
「道を歩いているとき、転んだか何かして頭を強く打ったみたいなんです。あたしもよくわからないんですけど。とにかくさっき警察から連絡がきて、けがで入院したので急いで病院へ来てほしいって言われたばかりで」
 転んで頭をけが? どうしてそんな……いやそれも一大事だが金は、現金の入ったバッグは無事なのか。
「バッグは」
 思わず考えたことが口から出ていた。
「バッグ? バッグって、母のバッグのことですか」
「いや、その、そうだ、病院はどこなんです?」
 教えるべきかどうか迷っている様子だ。結局食い下がって聞き出して電話を切った。あの仕事のあと、金を持ってアジトへ戻る途中で絹江がけがをしたのは確からしい。転んだぐらいで意識が戻らないほど頭を強く打つというのも不可解だったが、何より現金が入ったバッグが心配だ。
 もしあれを警察が見たらどう思うか。五十絡みの女が道を歩いていて、腕に下げている革のバッグに何百万円もの札束が詰まっていたとしたら……。考えるまでもなく答えはわかる。明らかに普通じゃないと考えて、その理由を聞くはずだ。意識が戻っていないのが不幸中の幸いではあるが。
 あれこれ考えていてもしょうがない、とりあえず動こう。混乱の極みにある状況を、これ以上面倒にしないためにも。修三は立ち上がってエアコンを切り、外へ出た。

 S市北総合病院は、市内中心部から北へ車で十五分ほど走ったところにある。修三がインフォメーションで経緯を話すと年配の看護師がていねいに教えてくれた。電話で聞いてくれて、いまは集中治療室にいるがそれほど重篤ではないようなので、もうじき一般病棟に移される予定とのことだった。礼を言って病棟に向かった。
 教えてもらった病室の入り口脇のプレートに、坂井絹江とフルネームが書いてある。中へ入ると、頭を包帯でぐるぐる巻きにされた絹江のかたわらに若い女性が座っていた。電話に出た彼女、娘だと思った。
「さっきの電話の?」
 修三がうなずくと、彼女は立ち上がって部屋の外へ出るよう促した。四人部屋は満室だったから気を遣ったのだろう。修三は自己紹介した。もちろん作り話で適当にごまかしたが、興味がないのかそれ以上聞いてこなかった。彼女は絹江の娘で、妙といった。せいぜい二十歳前後か。
「意識はまだ戻ってないんですか」
「ええ、相当強く打ったみたいで。でも命には別状ないし、後遺症が残るようなこともないだろうって先生が」
「歩いてて転んでこれだけのおおけがって、一体どういうことなんでしょう」
 妙は不意に眉をひそめ、小声になった。
「お母さん、どうも引ったくりに遭ったらしいんです」
 一瞬、修三の頭がショートした。引ったくりとは、あの引ったくりのことか? まさか、そんな……。
「もしかしてバッグを盗まれた?」
 妙の様子から、この男はバッグによほど執着があると思われたのではないかと思った。引ったくりが引ったくるのは、たいていバッグと相場が決まっている。すれ違いざまに財布だけを抜き抜くのは、プロ中のプロの犯行だ。強盗で奪ったばかりの金を、逆に奪われた? 山分けする寸前に? 吹き出したくなるような話だが、もちろん笑える余裕など毛頭ない。
 自分の計画が軋みをたてて狂いつつある。
「警察が言ってたんですか、そのことを」
「はい。お母さんが見つかったのは、地下鉄の泉ガ丘駅近くの狭い道路だったそうです。どうしてそんなところを歩いてたかっていうのも不思議なんですけど、そこに横向きになって倒れていたところを車で通りかかった人が見つけてくれて。でも、引ったくりされたところを誰かが見てたわけじゃないみたいです」
「倒れてただけじゃ引ったくりとは限らないんじゃないかな、持ち物がなくなっていたとしても。だって目撃してた人はいないんでしょう」
 現金の入ったバッグだって、何か都合があって駅のロッカーかどこかに預けておいた可能性だってある。と、修三は最後の一縷の望みに賭けるつもりで言ってみた。しかし妙は、はっきりと首を横に振った。
「証言してくれた人がいるんです。というのも、ちょうどお母さんがけがしたのと同じ時間に、『助けてくれー』って叫ぶ大きな声が聞こえたそうです。窓を開けてたアパートの中で聞いてたらしくて」
「お母さんが悲鳴を上げて、そのあと転んで頭を打ったということ?」
「それが違うみたいなんです。その辺の詳しいところは警察の方もはっきりわかってないようですけど、現場の近くで証拠が見つかったんです。警報ブザーが」
 意味がよくわからなかった。
「ハンドバッグとかに付けるやつで、何か起きたとき電子音で大声を出すブザーそうです。それが道路に落ちて踏ん付けられて壊れてたみたい。お母さんが倒れていた場所から、百メートルと離れてないところに」
「なるほど、つまり状況証拠か。お母さんが倒れていて、悲鳴が聞こえてブザーが近くにあったから、それを結びつけると引ったくりになる、という」
 突然現れた男が母親のバッグについてだけ訊きたがるというのは、どう考えても不審に違いない。心の底ですでに修三は、九割方確信を得ていた。
 奪った金が、奪われたのだ。
 詳細は不明だが、とにかくそういうことだろう。誰だかわからないが、盗んだ金を盗むとは上等だ。引ったくりのプロは聞いたことがないから、いずれ素人の犯行に違いない。それが玄人に手を出すとはいい度胸だ。犯罪を犯す人間には人間なりのルールってものがある。古い言葉で言えば、掟とか仁義とかいうやつだ。こちらのことを知っていたのかどうかはわからないが、きっちりケジメはとらせてもらう。俺たちなりの方法で。
 意識が戻ったら電話をもらうよう伝えて、修三は病院を出た。すっかり夜だったが昼の熱は冷め切っておらず、修三の襟元はすぐに汗ばんだ。
 問題は、その引ったくりがたんなる偶然か、それとも計画的なものだったかだ。偶然の可能性もなくはない。しかしそれは天文学的に低い確率に思えたし、仕事を済ませてから分配するまでのわずか半日に起きた事実を考えれば、とても偶然と片付けるわけにはいかない。よほど緻密に計画した者、もしくは組織されたグループが関与していると考えるのが妥当だ。
 修三は同業者ではないかと考えた。俺たちの仕事を快く思っていない誰かが仕組んだのだ。現時点で誰かはわからないが、炙り出す方法はある。どんな奴らなのか絶対に探し出してやる。胸の奥で激しく燃え上がっているもの、それはまるで的外れな怒りの炎だった。