世界の裏庭

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『事件家族』第2章−2

 

 

 店の周囲には警戒のために警官が立ち、鑑識の人間たちが忙しそうに動き回っていた。裏口から家に入った。

 鹿野シオンの身辺情報は捜査員から聞いていた。名字が森と鹿野と違うのは、シオンが孫ではなくて姪の娘に当たるからだ。いつも店にいるおばあさんは小夜という森たばこ店の娘であり、夫の孝は入り婿だった。

 鹿野シオンの家庭は少々複雑だった。シオンは米国で生まれ育ち、三年ほど前に両親とともに帰国した。ともに日本人である両親の、離婚調停のためだった。その際シオンの希望で、仙台の森家、大伯母にあたる森小夜の家に寄留することになった。

 父親は現在も米国に勤務しており、母親は東京に戻って再婚している。離婚の際、シオンは両親のどちらからも引きとられることを激しく拒絶し、自分は両親から捨てられたのだと小夜の前で号泣したという。英語を母国語として育ったシオンにとって、英語に堪能でやさしい大伯母は唯一心を開ける存在だった。

 小さな頃からサーフィンをしていたシオンは、家の近くにいい波が立つ海岸があることも気に入っていた。大伯母のいる森家で暮らし、中学校に通うようになってから二年が過ぎていた。

 そんなわけで小夜がシオンの母親に連絡したときも、はっきりしない答えが返ってきただけだった。父親は早くて三日後にしか日本にくることはできないし、母親も今日の今日では無理だという。再婚相手に気兼ねしているらしいと感じた小夜は、あなたがいたからといって何も解決するわけではないが、じつの娘なのだから一刻も早く仙台へくるようにと叱りつけた。

 小夜がシオンの両親に連絡した時点で、草壁という人物が父として犯人に認知されてしまっていることは知っていたし、自分たちは年をとっているのでとても犯人と交渉などできない、無理は承知でその方にお願いするしかありません、と頭を下げた。

「あの、シオンは大丈夫でしょうか?」

 絶対に救い出しますからと答えて、大嶽はつづけた。

「強盗事件について詳しく話を訊かせてください」

 小夜はそのときの恐怖がよみがえったのか顔をひきつらせた。かたわらに座る夫の孝が、心配そうに顔をのぞきこむ。

 大嶽はときどき質問をはさんだが、話の内容は細野からの第一報と大きな違いはなかった。わずか数分の出来事だったし、奪われたのはレジの中の数万円だけである。

 大嶽は夫婦に向かって、最終的に確認した。

「ご存じかと思いますが、犯人との金銭の受け渡しはほかの人物にやってもらうことになります。それで結構ですね」

 老夫婦はうつむいたまま黙っている。交渉役にしても一億円という金額にしても、自分たちでどうにかできるものではないと、痛いぐらいにわかっているのだ。

「お金は、犯人に渡すお金はどうするんですか?」

「それは我々のほうでどうにかします」

 孝が、小夜の肩に手を置いて言った。

「ここは警察の方にお任せしよう。それ以外に方法はないんだから。大変なご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」

「どうかあまり気に病まないでください」

 草壁自身がまいた種なのだから、と大嶽は思った。

「ところで、シオンさんはどうして犯人を追っていったんでしょう。普通の人だったら、特に中学生ぐらいの女の子であれば、怖くて足がすくむのが一般的な反応じゃないかと思うんですが」

 小夜は初めて小さく笑った。

「あの子は正義感が強すぎるのです、私どもも心配しておりました。女の子にしては背も高いですし、波乗りをしているためでしょうか、腕力や体力にも自信があるようでしたけれど」

「犯人と思われる石黒は、男としてはどちらかといえば小柄だったようですが」

 小夜はこくりとうなずいた。

「あの子も同居させてもらっている家でなかったなら、あれほど無謀な行動はとらなかったのかもしれません。自分ではけっして口にしませんでしたが、やはり負い目は感じていたのだと思います。だからとっさに何も考えないで体が動いてしまったんじゃないでしょうか。自分が中学生だとか女の子だなんてことは、頭の中にはなかったと思います。シオンは海外での暮らしが長いからかもしれませんが、やはり日本の一般的な子に比べると、考え方や行動に突飛なところがありました。外見は普通の日本人の女の子でも、根っこが生えてる土壌が違っているといいますか」

 鼻っ柱の強い跳ねっ返り、しかも正義の味方か。あまり長く草壁家を不在にするのも心配だった。辞去しようと立ちあがったとき、ひとつ思いだした。

「こちらのお宅には、金庫はありますか?」

「ええ、古い金庫ですがございます。現金商売で商う金額が小さいものですから、いちいち銀行へ預けるのも面倒だということで、父の代からそうしておりますのです」

「犯人がなぜこの店に強盗に入ろうと考えたのか、それが引っかかってたんです」

 さほど金があるとも思えないのに、とは言えなかった。

「その金庫には、大金を保管しておられますか?」

 小夜は首を横にふった。

「どうしてうちが狙われたのか、私どもにも見当がつきません。それになぜ犯人が、草壁シオンなどと言ってきているのか……」

 小夜がそう答えたとき、夫は何か言いたげに妻を見た。だがそれきり二人とも口をつぐんでしまった。

 

 草壁の家へ向かう間、大嶽はあれこれ考えを巡らせた。シオンを拉致して身代金を要求してきた犯人が石黒かどうか、現時点で決定的な決め手はない。しかし小夜の話を聞く限りでは、その確率が高い感じがした。

 犯人が森たばこ店に脅迫電話を入れた形跡はない。不審な電話は一切なかったと、夫婦揃って断言していた。だとすれば草壁に、しかも携帯電話に直接電話してきたのは、シオンの携帯電話で番号を知ったからに違いなかった。

 もしかするとシオンは、携帯にじつのの両親の電話番号を記載していなかったのではないかと大嶽は推測した。またはデータとして入れてあっても、親だとわかるような登録をしていなかった。

 たとえば、鹿野●●というように名前をそのまま入れてあったとか。両親のどちらからも引き取られるのを拒絶したという、さっきの小夜の話からすれば充分に考えられる。

 それではなぜ犯人は、草壁をシオンの父と間違えて電話してきたか。

 陽平の狂言誘拐を計画したときに、父親として自分のアドレスに登録した可能性は考えられないだろうか? 草壁陽平の父親、つまり草壁雅人という意味なのだが、事情を知らない第三者である犯人が見た場合、シオンの父親の番号と信じてしまう——。

 犯人は勘違いしたまま、草壁シオンの父親だと思いこんだまま、脅迫電話を入れる。犯人が飛ばしの携帯を持っていたなら、警察に身許が割れる心配もない。

 不可解なのは、シオン本人も草壁シオンを名乗っているふしがあることだ。なぜなのかは想像もつかないが、犯人はシオンに名前を確認しているはずだから、そうでなければ話の辻褄が合わなくなる。

 ポイントは、陽平の狂言誘拐だ。陽平はこう話していた。

「シオンねえちゃん、もう一台白い車もいたって言ってた。警察の人かもしれないってビビってたよ」

 シオンは尾行している大嶽の姿に気づいていた。警察が背後にいると信じこみ、大変なことをしでかしてしまったと後悔する。だからこそ陽平と二人で、すぐに草壁家へ謝罪に行こうとしたのだ。大ごとになって騒ぎにならないように。

 たしかに大嶽は現場にいた。警察官としてではなく、あくまで友人として。しかしシオンはその事情を知る由もない。石黒に身柄を拘束されて金を要求すると言われたとき、シオンはとっさに考えたのではないか。

 陽平の父に脅迫電話が入れば、きっと警察が助けにきてくれる。

 この推測が正しいとしたら、犯人から電話を受けたときに草壁がとった最悪の対応は、回り回って吉と出た可能性がある。

 それも、大吉だ。身代金を要求する電話を受けた時点で「そんな娘はいない」と突っぱねていたら、シオンはどうするつもりだったろう。犯人は即座に嘘を見破り、最悪の結果を引き起こしている可能性もあった。

 いや、すでにそうなっていることも考慮に入れておくべきかもしれない。捜査にあたる者として、最悪の結末を。

 シオンは警察がすぐに動いてくれるはずと祈りつつ、一か八かの賭けに出た。

 何がなんでも救い出さなければならないと、あらためて心に誓った。草壁家の灯りが見えてきた。問題はここからだ。すべては草壁雅人の、肉付きのいい双肩にかかっている。