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翌早朝、六時——。
陽平は興奮していたためか、五時ごろから目がさめていた。外がまだ薄暗かったのでベッドから出ないでいたのだけど、がまんできずに起きたときでも六時前だった。
ゆうべは下の部屋でお父さんやお母さん、警察の人たちが夜遅くまでいろんなことを話していた。いったい何をしているのか、シオンねえちゃんを助けるためにどんな話をしてるのか、知りたくて知りたくてしかたがなかった。
けど、下に降りてこないようにお母さんに言われていたから、まじめに言いつけを守った。自分が悪いことをしたと思っているからだ。キョーゲン誘拐をやって、お母さんたちに心配をかけたからだ。
今日は、お父さんが犯人にお金を渡す日だ。勝負の日なのだ。大嶽さんに「僕はシオンねえちゃんを助けるためならなんでもします」と言ったはずなのに、何も頼まれなかった。子どもだから危険な目にあわせるわけにはいかないし、なんの役にも立たないと思うのはあたり前だ。
昨日の夜、うまく寝つけなかったからいろいろ考えた。
シオンねえちゃんは、お父さんとお母さんがリコンするかもしれないと話すと、真剣に悩んでいっしょに考えてくれた。時間をかけて計画を立てて、あんなに大変なことを本当にやってくれた。口ばっかじゃなくて、本当に。
今度は、僕がシオンねえちゃんを助ける番だと陽平は考えた。
自分だけ家でじっとしてなんかいられない。何かやりたくてしかたがなかったし、どんなことでもいいから役に立ちたかった。体がうずうずしていた。
陽平はすでに着替えていた。アディダスのトレーニングウェアで、いちばんのお気に入りの、上下青のやつ。勝負服だ。
机の上に置いてあった携帯電話の電源を入れて、アッちゃんに電話した。まだふとんの中だったらしく、寝ぼけたような声だった。
「あ、陽平だけど」
「なんだよ、まだ六時じゃないか。どうしたの?」
「あのさ、相談があるんだ。僕といっしょに人質を助けない?」
「……意味わかんないって。ヒトジチって、どんな字書くんだよ」
「いい? びっくりしないで聞いてほしいんだけど、シオンねえちゃんが悪いやつにつかまってるんだ」
「シオンねえちゃんって、あの児童館にきてる?」
小学校の校庭のはしっこにある児童館は、陽平たちが集まる場所でもあり、仲間が何人かいる。陽平の友だちは、みんなシオンねえちゃんが大好きだ。ちょっとぐらい悪いことをしても、シオンねえちゃんはふつうの大人みたいに叱らないし、ひどいときには自分も参加したりする。
みんな児童館の仲間だ。
「悪いやつって、どんな悪いやつ? フシンシャ?」
子どもは不審者情報には詳しい。テレビのニュースとか新聞に出てこなくても、大きな事件にならなくても、学校からはしょっちゅう不審者情報を教えられているからだ。
「不審者より、もっと悪いやつだよ。ゴートーだよ、ゴートー」
「……マジかよ、そんなやつがこの辺にいるのか。ヤバくね?」
「だから、僕たちでつかまえるのを手伝うんじゃないか。でもさ、危険なことをするわけじゃないんだ。児童館と〈シーサー〉の仲間たちとさ、メールで知らせあえばいいんだよ。変な男を見たとか、シオンねえちゃんっぽい人を見たとか」
「ふうん。ちょっと恐い気もするけど、ちょっと面白そうだな」
「だろ。僕の家は警察の人がきてるから、いますぐ外に出るわけにはいかないんだけど」
「うそ? おまえんち警察の人がきてんの。すっげえな。なんでなんで?」
さすがに自分が知っている内容を全部話すのはまずいかなと思った。シオンねえちゃんを助け出すために、何千万円のお金を犯人に渡すためだなんて教えたら、町内会中が大さわぎになるかもしれない。
「いろいろあるんだよ。でも、シオンねえちゃんのことと関係がある。ヒミツだからこれ以上は話せない、悪いけど」
「まあ、人に言えない事情はあるよ、オレたち子どもにだってさ」
大人みたいな口調でアッちゃんは言う。
「わかった、オレも参加するよ。シオンねえちゃんには、みんないろいろと世話になってるもんな」
「シオンねえちゃんを、いっしょに助けようぜ」
おう! とアッちゃんが言った。児童館と駄菓子屋仲間たちの、誰に誰が連絡を回すか相談して電話をきった。なんだかモリモリとやる気が出てきた。
下の部屋で、人が動いている気配があったので、陽平は降りてみようかと思った。お腹もすいていた。
大嶽さんと警察の人たちがいた。でも、びっくりした。お父さんが灰色のジャージ姿だったのだ。
「おう陽平、おはよう」
お父さんが元気よく言った。やる気まんまんだ。こんなに朝早くお父さんと顔を合わせるのは、ずいぶん久しぶりだ。
「お父さん、なんでそんなかっこうしてるの?」
「シオンちゃんを助けるために決まってるだろう。今日は決戦の日だからな、犯人がどんなことを言ってきても大丈夫なように、動きやすい服装にした。お? おまえもジャージ姿じゃないか。気が合うな」
「ジャージじゃなくて、トレーニングウェアだけど」
お父さんのジャージ姿は、はちきれそうだった。お腹のあたりも肩のまわりもぱつんぱつんで、少し動いただけで布が破れてしまいそうだ。これじゃ、かえって動きにくくないか?
お母さんに呼ばれてキッチンのテーブルに座った。炊きたてのご飯のにおいと、トーストが焼きあがったにおいがする。ごはんはお父さん、パンは自分とお母さんだ。
毎朝ばらばらだから面倒だとお母さんがいつもいっているけど、お父さんは米を食べないと力が出ないといってきかない。お母さんと陽平もパンをやめる気はない。
テーブルごしに、お父さんと大嶽さんが話しているのが聞こえた。
「草壁、頼むから今日は自重しろよ」
「今日はシオンちゃんを助け出す日だからな、無謀なことは絶対にしない。誓うよ」
「おまえから絶対とか誓うとか聞くと、逆に心配だ」
「それより捜査態勢は大丈夫なのか? 犯人からの指示が、どんなふうにくるのか予想はしてるのか?」
陽平が聞き耳を立てているのに気づいた大嶽さんが、お父さんの背中を押してとなりの部屋へいなくなる。おしかった。警察のことが少しでもわかれば、アッちゃんたちにも教えられたかもしれないのに。
「陽平、ごはんを食べたら二階の部屋へ行ってなさい。危ないから」
「危ないって、犯人がうちにきたりすることあるの?」
「まさか、そんなことあるわけないでしょう」
「なら、どうして一階は危なくて、二階は危なくないの?」
「また屁理屈ばっかりいって。お父さんと警察の人の話なんて、子どもが聞いちゃだめだっていってるの」
陽平は牛乳を飲み干して言った。
「今日は、外で遊んでもいいのかな」
「それはだめ。犯人がどこにいるかもわからないんだから」
犯人がどこにいるのかわからないんだったら、どこにいたって危険ってことになるんじゃないかと陽平は思ったが、これ以上口ごたえはまずいと思ってやめた。
僕らは僕らなりのやり方で、シオンねえちゃんを助けるんだ。
「ねえお母さん、朝ごはんのごはんって、お米のことだよね」
「ん? ああ、本来はそういう意味でしょうね」
「前から気になってたんだけど、朝ごはんにパンを食べるって、なんかおかしくない?」
お母さんは少し考えていたみたいだったけど、すぐに諦めたみたいだった。
「早く二階の部屋へ行ってなさい」
自分の部屋に戻り、ベッドに座って仲間にメールを出した。陽平が連絡できるのは五人しかいないけど、アッちゃんには別の友だちもいるから、全部あわせれば十人ぐらいになるかもしれない。
メールを送信してから考えた。まず最初に解決しなくちゃいけない問題は、どうやって家から出るかってことだな。お母さんのようすだと、普通に遊びに行ってくると言って出かけるのは無理そうだ。危ないからと絶対に止められる。
電話が鳴った。アッちゃんからだ。
「陽平だけど」
「あ、オレ、さっそくフシンシャ発見!」
心臓がはねあがる。
「えっ、どこで?」
「陽平から電話もらってさ、そうしたらオレもじっとしてらんなくなって、すぐに家から出てみたわけ。うちのお母さんもシオンねえちゃんの事件は知ってるらしくて、今日はあんまり外へ出るなって言われたんだけど、シカトして」
「それで?」
「でさ、児童公園があるだろ。あそこのいちばんはしっこにあるベンチに、変なおじさんがいたんだよ」
その男の人はけっこう年をとっていて、スーツ姿だけど目つきが悪くて、ときどき携帯電話で話していたという。胸がドキドキしてきた。心臓が耳の近くまで移動してきて、どくんどくんといってる。
「それでアッちゃん、どうしたの?」
「オレいま、公園からちょっと離れた木の陰から、そのフシンシャを見てるとこ」
「マジか……」
どうすればいいんだろう。まさかこんなに早く情報が入るとは思わなかった。お父さんか大嶽さんに話したほうがいいだろうか。
でもそんなことを言ったら、どうしておまえがそんなことを知ってるんだって、逆に疑われてしまうかもしれない。どうしたらいい?
「あっ!」
アッちゃんが叫んだ。
「何、どうしたの? フシンシャが向かってきた?」
「………」
「アッちゃん、大丈夫か!」
少したったときに電話の向こうで、へへへっと笑う声がした。
「ごめん、ちがった」
男の人はベンチから立ちあがると、近づいてきたパトカーに乗っていったという。
「それ、警察の人じゃないか」
「だな。引きつづきパトロールするよ。ラジャー!」
電話をきると、陽平はハアーっと息をはいた。緊張した。もしその男が犯人だったら、アッちゃんも危ないところだった。
五分もしないうちに、またアッちゃんから電話がきた。不審者を見かけたというのだけど、またすぐいなくなったらしい。
「ねえアッちゃん、それってフシンシャじゃなくね?」
「うーん、そうかな。オレ、フシンシャってどういう人のことか、よくわかんないんだよね」
いちいち電話をするとケータイ料金がかかって大変だから、本当に急ぐとき以外はメールでやりとりしようと決めた。
捜査ってむずかしい。でも、アッちゃんはわけもわからないまま行動している。アッちゃんを巻きこんだ自分だけ、家の中にいるわけにはいかない。陽平は頭をひねりにひねって、考えた。
ニンテンドーDSをやってしばらく時間をつぶした。八時になって下へおりると、お母さんがキッチンにひとりで座っていた。お父さんと警察の人たちはいなかった。
「お母さん、チャンプに朝ごはんはやってくれた?」
忘れてたと言って、お母さんが慌てて立ちあがる。
「いいよ、僕がやる。今朝はちょっと多めにやろうかな」
キッチンに置いてあるドッグフードの袋を持って、陽平は犬小屋へ行った。チャンプがうれしそうに舌を出している。えさ入れに食べ物を入れてやると、音を立てて食べはじめる。腹がへってたみたいだった。
「チャンプ、待ってろよ」
一声かけてキッチンへ戻り、陽平はお母さんに言った。
「ねえお母さん、チャンプを散歩に連れていってもいい?」
お母さんが眉毛をよせた。どうしようか迷っているときの顔だ。
「シオンねえちゃんの家では、僕が隠れてたでしょ? だか、チャンプも外に出られなかったんだ。もう二日も散歩してないから、いますごく外へ出たがってたんだ。ねえ、それくらいならいいでしょう」
「それじゃ、特別ね。とにかくいつもと違うんだから、今日はなるべく短い時間で戻ってきて」
わかったと答えて、陽平は二階へあがる階段の途中で、小さくガッツポーズをした。部屋へ入って、昨日まで着ていたズボンのポケットから一枚の赤いバンダナをとりだした。昨日コンビニで手を洗ったとき、手を拭くためにシオンねえちゃんが借してくれたやつだ。
このにおいをチャンプに覚えさせて追跡するのだ。警察犬みたいに。