世界の裏庭

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『事件家族』2-12

 変わった構造のエスカレーターだった。広場を中心にXの形をしていて、ちょうど交差しているところに中二階があり、そこからもう一本乗り継がなければ二階へあがれないのである。

 男がエスカレーターに乗った。挙動にはどこか落ち着きがなく、しきりに周囲を気にしている。すでにチケットはとっているのだろうか? どこへ向かうつもりなのかさえわかれば、出発時刻が判明する。時間に余裕があると判明した時点で、応援を要請することも可能だ。

 大嶽はエスカレーターに乗るべきかどうか迷った。こちらは石黒の顔を知っており、向こうは大嶽を知らない。一見、こちらが有利に思える。

 しかし犯罪を犯している人間はあなどれない。これまでの経験からそう考えていた。極度に神経が張り詰めているからかどうか知らないが、些細な気配に敏感になっているものだ。迂闊に近づきすぎるのは危険である。判断が非常に困難な局面だ。

「いまエスカレーターに乗った。おれは時間をおいて乗るから、細野は離れた場所から監視してくれ」

「わかりました。いま出発口前です」

「気づかれるな」

 大嶽は小声で言い、顔を動かさずに上を見た。男が中二階で二階へあがるエスカレーターに乗りかえたところだった。大嶽もエスカレーターに乗った。二階へ目をやると、携帯を耳にあてたまま細野が手すりに近づいてくるのが見えた。

「細野、近づきすぎだ」

 小さく叫ぶ。男はもうすぐ二階ロビーに出る。近づいてきた細野が、数メートルの距離で男とすれ違った。石黒は左へ、細野は右へ歩いていく。

「石黒です。間違いありません」

 背筋に電流が走った。石黒は本当に空港にいた。

 わかったと答えたとき、大嶽は中二階に着いた。乗り継ぎのエスカレーターへ向かってた。石黒が、つっと立ち止まった。ふり返る。

 細野のほうをじっと見ている。気配を察したのか? 大嶽はエスカレーターに乗るのをやめ、中二階から細野をのほう見ずに告げた。

「細野、うしろを向くな。おれもいま二階ロビーに上がる。待て」

 細野は、石黒のほうは見なかった。しかしやはり気になったのか、ほんのわずか大嶽のほうに顔を向けた。

 細野と目が合った。

 大嶽は、目だけで石黒を見た。石黒が、こちらを見ていた。

 次の瞬間、石黒が早足で歩きはじめる。手すり沿いに歩いて下りのエスカレーター、つまり、いまきた反対側に向かっている。

 大嶽はとっさの判断で、中二階から下りエスカレーターに乗った。一階に逃げられてはまずい。急いでいると勘づかれないように、エスカレーターの階段を一段ずつ降りた。石黒のほうは見ないようにした。

 そのとき電話の向こうで、細野が抑えた声で言うのが聞こえた。

「くるな、くるんじゃない!」

 誰に向かって、何を言ってる? 大嶽が一階に下りて二階を見あげたとき、制服姿の警官が細野に近づいてくるのが目に入った。空港に詰めている警官だ。

 下りエスカレーターに乗った石黒が、じっと細野を見ていた。中二階に客の姿がないのを確認して、大嶽は肚を決めた。

「細野、エスカレーターの中二階で石黒を確保する」

「了解。いまから降ります」

 大嶽は石黒を見た。石黒はまだ細野のほうを見ていたが、制服警官が近づいて話しかけた相手を刑事と見抜いたのか、エスカレーターの階段を駆け下りはじめた。

 大嶽はエスカレータの一階降り口で待ちかまえた。反射的に拳銃のホルスターに手がのびたが、やめた。

 石黒が中二階に着いた。さらに下へ乗り継ごうとして、足を止めた。一階の降り口に大嶽がいるのを認めたのだ。

 二人の視線がからんだ。

 石黒が二階と一階を交互に見る。大嶽が中二階まであがろうとすれば、反対側に位置している上りエスカレーターの乗り口まで行かなければならない。

 大嶽は下りエスカレーターを早足でのぼりはじめた。なかなか進まない。しかし逆側に回りこんでいる間に逃げられてしまうリスクを考えれば、こちらのほうが確実だと判断した。

 細野が二階からの下りエスカレーターに乗り、大嶽はあと数メートルに迫った。そのとき中二階にいた石黒が、手すりから飛び降りた。

「石黒!」

 大嶽は叫んだ。中二階へあがったところで、手すりに走り寄って下を見た。

 悲鳴があがった。女性客の声が、一階ロビーに響いた。

 二段になった噴水の上の槽に、石黒が浮かんでいた。気を失っているのか、仰向けになったままぴくりともしない。

「なんてことしやがる、こんな高いところから……」

 細野が呆然とつぶやいた。急いでエスカレーターで一階へ降り、噴水に駆けよった。

 石黒は動かなかった。頭部から血が流れている。

 大嶽は制服警官に救急車を呼ぶよう指示し、そのあと被疑者の身柄を確保したと本部へ連絡を入れた。