世界の裏庭

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『事件家族』第2章-11

 

     ☆

 

 犯人の足どりは掴めなかった。

 草壁の携帯には何度かけてみてもつながらない。生きているかどうかが気がかりだったが、犯人を追うのが先決だと大嶽は自分に言い聞かせた。

 車は海岸にほど近い道を走っていた。逃走しているはずの犯人は、どこかから上陸するはずだ。上陸地点は必ずしも海岸とは限らない。犯人が名取川から橋の下まできたことを考えれば、別の川、たとえば隣り合っている七北田川や阿武隈川も考えられる。

 場所が特定できない以上、人海戦術で少しでも多くのエリアをカバーするしかないが、可能性のある範囲が広すぎて、砂漠に針を探すような捜査にならざるをえなかった。海岸線を網羅しようにも、名取川河口の一帯は海岸沿いに走る道路が少なく、車で直接海に出られる場所も多くない。

 捜査の網を上からばさりとかぶせたいのは山々だが、点と点とがうまくつながってくれない。どう考えても犯人に有利だった。

「捜査一課の大嶽、応答しろ」

 無線が入った。送話器をとる。

「はい、大嶽です」

「一一〇番通報が、おまえあてで入ってる。どういうことだ?」

「あの、意味がよくわからないんですが」

「閖上地区の公衆電話から一一〇番通報が入ったんだが、通報者は捜査一課の大嶽につないでほしいと言うだけで、さっぱり要領をえんのだ。通報者は草壁と名乗ってるそうだが……」

「本当ですか!」

「一一〇番通報した電話を、直接捜査員につなぐことはできないと何度もいったらしいんだが、聞く耳を持たないらしくて、担当の者が弱ってた。どういうことか、わかるように説明してくれ」

 大嶽は、草壁が犯人との交渉役を依頼した人物で、少し前に橋から川へ飛び込んだまま行方がわからなくなっていたのだと伝えた。

「それじゃ、草壁は無事なんですね」

「そんなことは知らんが、電話してきたのだから生きてるんだろう。それと、絶対に伝言してくれといわれたそうなんだが、どうする?」

「内容を教えてください」

「それじゃあ通報内容を復唱するぞ。『犯人は貞山運河を通って、仙台空港へ向かった可能性あり。大嶽、仙台空港を封鎖せよ!』……この男、何考えとるんだ?」

「なぜ仙台空港なのか、理由は言ってなかったんですか?」

「わからんな。仙台空港を封鎖せよの、一点張りだったらしい。最後にびっくりマークを付けるようにって注文までつけてたらしいが、一一〇番は郵便電報じゃねえっつうの」

 大嶽は考えた。犯人の水上バイクが、貞山運河を利用しているかもしれないというのは盲点だった。だがどうして犯人が仙台空港へ向かうと、草壁は考えたんだ?

 昨日の電話で、犯人は残りの七千万円を受けとると言った。三日後にまた連絡すると言っていた。残りの金を放棄してこのまま逃走するつもりだろうか? もしかすると犯人は、捜査陣にふたたび連絡を入れると見せかけて、つまり仙台近郊に留まっていると思わせておいて、裏をかいて逃げるつもりだった。

 つまり、残金を受けとる意思表示そのものが、偽装だった可能性もあるのか?

 大嶽の車は一般道を北へ向かっていた。仙台空港とは反対方向だ。空港へは、ここからなら二十分もかからずに行ける。迷った末、細野に仙台空港へ行くよう告げた。車は深沼海水浴場へ向かう道をUターンして、南へ進路を変えた。

 確信は持てなかったし半信半疑だったが、万に一つでも可能性が残されているのであれば、見逃すべきではないと思った。

 捜査人員の多くが、犯人の上陸地点を張り込むほうにさかれていて、金を受けとった足でそのまま県外へ逃走する可能性はほとんど考慮していなかった。パスポートは持っていないだろうから、海外は無理だろう。偽造パスポートという手はあるが、短時間でそんなものが準備できたとは考えにくい。ただ、国内便なら偽名を使える。

 本部へ連絡を入れ、念のため石黒洋太郎の名前を空港側へ知らせ、搭乗者名簿でチェックしてもらうよう伝えた。

 捜査員の応援を要請すべきかどうか迷った。けれど空港に詰めている警官もいるはずだと考え、ただでさえ捜査員の数は足りないのだから、確証もない場所へ駆り出す余裕はないと判断してやめた。

 

 仙台空港が見えてきた。大きく波打つ屋根の優美な曲線が遠くからもわかる。ロータリーから入り、送迎用車両が一時的に駐車できるパーキングへ停め、ロビーへ向かった。

 空港内は思っていたより人が多くなかった。国内線到着ロビー付近には十数人ほどが、人待ち顔でゲートのほうを眺めて立っている。もうじき到着する便があるらしい。

 空港内にいる警官に事情を伝えてくるよう、細野に告げた。搭乗口の係員やアテンダント全員に石黒の顔写真を見てもらうのは、時間的にもかなり厳しいと思えた。大嶽は喫煙室の中や、喫茶室を順々に確認していった。

 大嶽は若い女性が二人並んでいるサービスカウンターへ向かった。一日中たくさんの客の顔を見ているに違いないと思ったからだ。手前にいた女性に近づき、カウンター越しに声をかける。

「お願いしたいことがあるんですが」

「はい、なんでしょう?」

 営業用の笑顔を浮かべた彼女は、大嶽が周囲に気づかれないよう警察手帳を見せると、一瞬凍りついた。口に手をあてて驚き、となりの女性と顔を見合わせている。大嶽は小声で告げた。

「騒がないでください。この男を見かけた覚えはありませんか?」

 胸の内ポケットから石黒の写真をとり出して見せる。彼女はとなりの女性と一緒に食い入るように見ていた。

「今日、でしょうか?」

「たぶん」

「この人、何をした人なんですか?」

 なるべく緊張をほぐそうと、大嶽はわざと笑い顔をつくった。

「それは話せませんが、そんなに怖がる必要はありません。万が一の可能性のためにきているだけで、現実的にはこの男が空港へくる確率はきわめて低いですから」

 こわばった表情で二人がうなずく。

「それでもし、もしもですけど、見かけた場合には連絡をいただけると助かるんですがね」

「連絡は、どちらにすればよろしいですか?」

「私の携帯に直接電話してもらえませんか。番号は」

 メモに番号を書いて渡す。

「お二人とも仕事中だとは思いますが、ご協力いただけると助かります」

 小さく会釈したとき、となりの女性が(あれ?)という顔をした。手元にある写真と、大嶽の背後とを交互に眺めている。大嶽は目顔で女性に尋ねた。彼女は、こくりとうなずいた。

 大嶽は、ゆっくりとふり返った。

 視界の範囲には、十人ほどの人間が見えた。小声で訊く。

「どの人ですか」

「いま向かいのトイレから出てきた、あの、黒いジャンパーとジーンズの……」

 彼女はカウンターの陰で、向こうからは見えないように指さした。

 大嶽は片手を小さくあげて了解の意を伝えてから、ゆっくりとその男の跡をつけた。だだっ広いロビーを歩いていく石黒らしき後ろ姿を視界に収めながら、携帯で細野に連絡する。

「大嶽だ。石黒らしき男を発見した」

「えっ、どこですか?」

「一階の国内線到着ロビー前だが、現時点では顔をはっきり確認したわけじゃない。だが、似ているようだ」

「僕はいま二階の待合ロビーの近くですけど、どうしたらいいですか」

「細野も二階の中央に向かって歩け」

「でも、応援を待ったほうがよくないですか?」

「時間に猶予がありそうなら、応援要請の指示をあらためて出す。とにかくいまは本人かどうか確認するのが先決だ」

 まずいな、と思った。

 少し先を歩いているあの男が本当に石黒だとすれば、何か凶器を所持しているに違いなかった。金属探知器に引っかかるから機内までは持ち込めないはずだが、搭乗手続きをするまでは捨てないかもしれない。

 大嶽も細野も拳銃を携行してきているが、こんなに人がいる場所で使用するのは危険だ。

「細野、銃は使うな。一般人を巻きこみたくない」

 一拍、間が空いた。

「了解」

 いま出したのが、きわめて困難な指示であるのは百も承知だった。しかし、そう告げるしかない。男は木のベンチと噴水がある広場の横を通りすぎて、二階ロビーへとあがるエスカレーターに向かっている。