世界の裏庭

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『事件家族』第2章–5

 

     ☆

 

 草壁家の一室でコーヒーを飲みながら、大嶽は何十回も考えた内容を反芻していた。一階にある居間の隣にある和室で、ふすまも障子もすべて閉め切ってある。風は強いがよく晴れた日で、窓に面した障子が白く発光しているように見えた。

 携帯の基地局は街の中心部にある繁華街だったが、なにせ人が多い地域だから聞き込みでもはかばかしい進展はなかった。昨晩から夜通しで、シオンの監禁場所の捜索もつづいている。犯人が車を用意しろと要求してきたため、覆面車両を配備して市内を中心に巡回させ、不審車両があれば片っ端から職質をかけることになっていた。

 現段階でできる手はすべて打ったといっていい。

 犯人にとっては明らかに不利になるから、入口も出口も限られる高速道路を指定してくるとは考えにくいが、念のため高速交通警備隊にもパトロール強化を要請していた。市街地を走らせるつもりか、あんがい辺鄙な山奥なのか、犯人はどこで金を受けとるつもりなのか——。

 草壁の携帯が鳴った。盗聴器のイヤホンをつけて時計を見た。九時十五分。ふすまをそっと開けると、ソファに座った草壁がこちらを見た。

 大嶽がこくりとうなずき通話ボタンを押す。

「……草壁か?」

 犯人からだ。指定してきた時刻までは、まだ二時間近くある。

 草壁がうわずった声で、そうですと答えた。

「用意はできてるか」

「えーと、準備は整ってますが、でもまだ約束の時間じゃないですよね」

「警察の奴らも準備は万全か?」

 草壁の口があやうく、はい、と動きそうになる。(引っかけだ!)と、大嶽は祈るような気持ちで念を送った。

「またまた冗談を。警察になんか連絡してませんって、もう何度も言ってるじゃないですか。娘が無事に戻ってくるなら、お金は払います。本気です」

「……なら、いますぐ車で出発しろ。車種はなんだ?」

「赤のアウディです」

「……いい車に乗ってるじゃないか。仙台宮城インターから東北自動車道に入って、上り車線を走れ。また電話する」

 一方的にそれだけ告げると電話はぶつりと切れた。ここから仙台宮城インターチェンジまでは、車で二十分ほどの距離である。

「野郎、意表をついてきたか」

 大嶽はつぶやいてから、部屋にいたほかの捜査員に声をかけた。

「菅原さん、どうします?」

 菅原はにやりと笑って答えた。

「こういう展開を考えてなかったわけじゃない。本部には電話しておくから、大嶽も草壁さんが出たら、少し時間をあけて尾行してくれ」

 うなずいてから居間を見ると、草壁は早くも外へ出ようとしている。

「待て、おい草壁!」

 玄関まで追いかけていき、たたきで靴をはこうとしている大きな背中に声をかける。

「頼んだぞ。女の子の命がかかってる」

 立ちあがった草壁は、いつもよりさらに巨体に見えた。大嶽の横に聡子が心配そうに立っている。草壁は二人を交互に見てから、自信満々で宣言した。

「任せろ。グッジョブ!」

 最後に謎の言葉を残すと、草壁は出ていった。もしかして、グッドラックのことか?

 

 草壁の車には昨夜のうちに機器を設置してあった。車内に小型のマイクとスピーカーを取り付け、警察車両と交信できるようになっている。犯人とのやりとりも聞けるし、草壁が運転しながら警察や犯人と会話できるように、スイッチひとつで切り替えることもできる。アウディの位置を確認するための発信器もとりつけた。

 現金を入れたバッグに発信器は取りつけなかった。現金だけを別のバッグに入れ替えられたらそれまでだし、草壁がかたくなに拒否したからだ。シオンの身に危険が及ぶ可能性のあるもの、つまり警察の関与を疑わせるのはやめようと言われ、一理あると大嶽たちも譲歩した。

 犯人が高速道路を指定してきたのは、捜査する側にとってみれば有利に働くと思われた。高速や幹線道路にはNシステムが設置されているし、インターのゲート付近には車両番号読取り装置もある。

 犯人が高速道路のどこかを金の受け渡し場所に考えているのであれば、出入口を通らないわけにはいかない。犯人のナンバープレートの番号が特定できていなければならないが、犯人が石黒であれば車は所有していないはずで、菅原はさっそくレンタカーを借りている可能性を考えて、本部に進言した。

 高速を走らせることが、陽動作戦であるケースも想定しておく必要がある。どちらの確率が高いかは、犯人が警察の動きを察知しているかどうかに関わってくるはずだ。

 身代金を要求しても家族は警察に知らせないと信じるような、すなおな犯人であることを祈りたいが、それは考えにくい。犯人は、警察が草壁の背後にいると考えていることを前提に動かなければならないはずだ。

 犯人が草壁家を監視している可能性を考えれば、大嶽がすぐに家を出るわけにはいかない。計画的な拉致事件と違い、行きずりの犯行に近いため単独犯と思われるが、念には念を入れておく必要がある。

 十分たって大嶽が捜査車両に乗り込んだとき、草壁の携帯が受信した。犯人からの電話だった。

「……車に乗ったか?」

「いま仙台宮城インターに向かってるところです。あと十分ぐらいで入れると思います」

 相変わらず草壁は、犯人に対して低姿勢である。捜査車両に搭載されたカーナビゲーションの画面を、ゆっくりと赤い点が移動していく。アウディが仙台宮城インターチェンジに近づいていることを示していた。