世界の裏庭

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『事件家族』 第1章-4

 

 

 

     ☆

 

 大嶽修二の携帯電話が鳴ったのは、聞き込みの最中だった。

 街中のとあるマンションの玄関で若い男に話を聞いていた。いつもなら仕事中はマナーモードに切り替えているが、忘れていたらしい。画面も見ずに大嶽はマナーモードのスイッチを押した。

「それにしても、石黒が強盗殺人って本当なんですか?」

「まだ重要参考人ということですが」

「信じられないんだけどなあ。そんなことをするような男じゃなかったのに」

「もう一度確認させてもらいますが、ここ数年は連絡がなかったということですね」

「ええ。というか、大学を卒業してあいつが東京へ戻ってからは、一度も。とにかくずっと音信不通です。年賀状のやりとりをするほど、仲がよかったってわけでもないし」

「わかりました。連絡が入ったり、何か思い出したことがあったときには、ご面倒でもぜひ電話をいただければ助かります」

 相手はほっとした顔をした。ようやく帰ってくれると思ったのだろう。

 さっきからしつこく震えていた携帯のバイブレータが、ようやく止まった。時間をとらせた礼を告げてから、大嶽は言った。

「ところで、スノーボードでもやってるの?」

 彼は一瞬、虚をつかれたような顔になった。

「ずいぶん日に焼けてるなと思ってね」

 ああ、と言って不意に相好を崩すと、パーマのかかった長い髪をかき上げる。

「おれ、サーフィンとかジェットスキーとかのマリンスポーツをやってて、年がら年中海に行ってるから。刑事さんは、スノボやるんですか?」

 その年で? という口調である。

「いや、もっぱら雪の上のスキーだけでね。最近じゃゲレンデもスノボに押されて肩身が狭い。今年はまだ一度もスキー場に行ってないけど、このまま終わりそうだな」

「刑事さんとスキーって、なんかイメージが結びつきませんね」

 苦笑しながら辞去した。アウトドア好きの刑事は珍しいだろうか。エレベーターに向かいながら今日も収穫はなかったなと考えた。

 いまの男は森安明といい、石黒が仙台の大学に通っていた当時の友人だった。調べた住所を元に初め彼の実家へ行ったところ、仙台の街中でひとり暮らしをしていると父親が言った。親子仲が悪いらしく、父親は「うちは関係ない」の一点張りだったが、なんとか住所を聞き出してこのマンションを訪ねたのだった。

 一階のホールを抜け、マンションの外へ出てから携帯電話を開いてディスプレイを確認した。思いがけない相手だった。

 かけ直すと、待っていたとばかりに一度のコール音で相手が出た。

「大嶽ですが」

「おう大嶽か。おれだ、草壁だ。久しぶり。いま仕事中か?」

 まるで電話を切られるのを怖れるみたいに、草壁が早口でまくしたてる。

「珍しいじゃないか、俺の携帯に電話をよこすなんて。同窓会の連絡か?」

 三年ほど前の夏に、高校の同窓会で顔を合わせて以来だった。あのときに携帯の番号を交換していた。

「そうじゃない。おまえにおりいって相談したいことがあって、悪いとは思ったんだが電話させてもらった」

「長くなる話か?」

 沈黙が肯定を告げていた。

「突然で悪いとは思うんだけど、とても簡単に事情を説明できそうにない。おれも混乱してて……飛んでて、突然火に入った夏の虫みたいで」

 わけがわからない。こいつのたとえは昔から意味不明だ。

 大嶽は今日はもう切り上げようと思っていた。話の内容によっては居酒屋で一杯やりながら旧交を温めるのもいいかと思ったのだが、このようすではそんなのんびりした話ではなさそうだった。

「念のために確認しておくが、これからの話は友人として聞けばいいのか? それとも警察官として聞くべきか?」

「表大嶽と裏大嶽、どっちの大嶽も必要だ」

 裏ってなんだ? ともかく切羽詰まっているらしいことだけは伝わった。

「で、おれはどうすりゃいい? どこか外で会うか、それともそっちの家に出向いてもいいが」

「うちにきてもらえると助かる。他の人間がいる場所で話せそうな内容でもないんでな」

 わかったと答え、頭の中で草壁の家の場所を思い出していた。

「おれはいま街中で、いったん会社に戻らなくちゃならない。そっちに着くのは十時近くなると思うが、それで大丈夫か」

「問題ない、何時まででも待ってる。本当は直接一一〇番しようかとも考えたんだが、そのまえにおまえに相談しておいたほうがいいと思って」

 大嶽は派手なネオン看板を眺めながら、小指で首筋をかきながら考えた。考えていた以上に厄介そうで、とても気楽に聞ける話じゃなさそうだ。

「一一〇番とはずいぶん物騒な話じゃないか。どうした?」

「陽平が、息子が家に帰ってこない。それに、脅迫電話がかかってきた」

「おいおい、待てよ。それがほんとなら、すぐにでも通報したほうが……」

「待ってくれ。だから簡単な話じゃないと言ってるんだ。脅迫電話が英語だったからよく理解できなかった」

 脅迫電話が、英語?

「厳密にいうと、誘拐されたのは犬のほうじゃないかと思うんだが」

「いまなんて言った?」

「うちに飼い犬がいて、秋田犬のチャンプというんだが、それを誘拐したってことらしくて」

「……息子の話はどうなった?」

「息子の陽平は、友だちと……なあ、とにかく話が入り組んでて面倒くさいんだよ。思いきりはしょってもいいか?」

「望むところだね」

「犬が誘拐された。英語で謎の脅迫電話が入った。で、犬と一緒だった陽平がまだ家に戻らない。そういうことだ」

 落語の三題噺みたいだが、とても笑って聞ける話ではない。電話で全容を理解するのは無理そうだったから、やはり直接会って詳細を知る必要がある。

 だが署の上司にはどうする? これが万が一本当に未成年略取や誘拐だとしたら、いますぐ報告して、しかるべき態勢と人員を割くべきところだが——。

 なるべく早く行くと告げて電話を切った。胸がぞわぞわするような気分のまま大嶽は足早に署へ向かった。

 

 大嶽が所属する県警捜査一課強行犯係は、東京都内で起きた強盗殺人事件の捜査にあたっていた。

 いまから二週間ばかり前、東京都豊島区に住むひとり暮らしの老人が殺害されて、現金が奪われる事件が起きた。事件直後に姿を消した、老人の甥が捜査線上に浮かび、警視庁が重要参考人としてその行方を追っていた。

 それだけなら大嶽たちには基本的に関わりのない事件なのだが、警視庁から捜査協力の依頼がきていた。その甥によく似た人物が、いまから一週間ほど前に仙台市内で目撃されていた。学生時代は仙台で暮らしていて多少土地鑑があるらしい。

 JR仙台駅から西へ十五分ほど歩いた、古びた飲食店街で目撃されていた。大嶽たちは所轄署に要請して捜査員を出してもらい、周辺はもちろん潜伏先として考えられる安ホテルやマンガ喫茶、ネットカフェ等をしらみ潰しに洗っていた。当時の友人・知人もあたってはいたが、みな口を揃えたように長いこと音信不通だと答えていた。

 ほぼ同時期に警視庁管内でもいくつか目撃情報が寄せられているらしく、仙台潜伏の線は警視庁もさほど重要視していないふしがあった。当然こちらとしても、手は抜かないまでも、何がなんでも容疑者検挙というほどの熱心さはない。気分で捜査するつもりはないが、警察官とはいえやはり人間である。

 署へ戻って報告を終えてから、大嶽が草壁家に着いたときには九時四〇分を回っていた。

 

     ☆

 

「どこから話せばいいかな」

 体重のせいで深々と沈みこんだソファから身を乗り出して、草壁はつぶやいた。妻の聡子は神妙な面持ちで、少し離れてソファに座っていた。

 草壁が首をひねると、のどの周囲に何本もしわが寄った。明らかに太りすぎだ。三年前の同窓会で会ったときも驚いたが、あれからまたさらに太ったようだ。

「順番でいい。時間の流れに沿って起きたことを、細大もらさず教えてくれ。事実だけを」

「おれが帰ってくるまでの経緯を、聡子から話したほうがいいな」

 草壁が目顔でうながすと、聡子は硬い表情で切り出した。

 短い質問をはさみながら、大嶽は全体像を把握しようとした。だが、とらえどころのない茫洋とした手ごたえしか残らなかった。

「次は、英語の電話について詳しく教えてください」

 先をうながすと、聡子はこくりとうなずいた。彼女はけっしてすぐにしゃべりださない。口を開く前にかならず短い間をとるのだ。きっと、自分の中で記憶を巻き戻すのに必要なのだろう。

 このようなタイプの人物による証言は、信頼に値するものが多い。捜査経験で築いてきた大嶽なりの人間観だった。それに比べて草壁のほうは、考えなしですぐ独断に走る。事情聴取する相手としては、もっとも発言内容に信用のおけないタイプだ。

 この夫婦も妻の聡明さで持っているのだろうと、頭のすみで思う。

「最初の電話の時点では、私は脅迫電話だとは気がつきませんでした」

「英語だったからですね。英語はまるでわからない?」

「まったくではありませんけど、高校レベルです。学生のころから苦手で」

「聡子の頭は理数系なんだ。出来がいいんだよ」

 草壁が口をはさんだ。自分の妻を自慢しているというより、やゆする響きがひそんでいた。

 危機に際して、夫婦の隠されていた姿が浮き彫りになることがある。危機が夫婦を結束させることもあれば、逆に不仲の火種に油をそそぐ場合もある。重大事件が原因で家族が離散したり、最悪の場合には一家心中というような事態をこれまでにいくつも見てきた。

 夫としての草壁が、このような状況下で頼りになるとはとても思えないだけに心配になってくる。

「電話の英語の中で、わかった単語はありませんか」

「それは……」

 今度も草壁が話を引きとった。

「メモがある。二枚だ。一枚目は最初に電話を受けたとき、聡子が書き付けていたやつだ」

 大嶽はさし出された一枚目のメモに目を落とした。

「『チャンプ』、『キッドナップ』、『アンダスン』。この『チャンプ』のところだけぐるぐる囲ってあるのは?」

「たぶん、私が知ってる言葉だったから。あと、電話の相手は日本語も理解できる人かなと思いました。念を押すように同じ単語をくり返していましたし、私が英語はわからないと言ったとき、迷ってるみたいに黙りこんだりして」

「二回目の英語の電話はどっちが受けた?」

「おれだ。帰宅してすぐだから七時半前だな。少なくとも聡子よりは英語がわかるつもりだが、それは読み書きの話でしゃべるのも聞くのもからきしだ。おまえとは大違いだよ」

 大嶽は大学時代、二年ばかり米国に留学していた。たいした目的はなく、長期間のホームステイだった。昔から鳥や動物などが好きだったから、イエローストーンをはじめ向こうの国立公園ばかり歩き回っていた。

「なあ大嶽、どうすればいいと思う?」

 思わず言葉につまり、小指の先でこりこりと首筋をかいた。最初にこの件で電話をもらったとき、考えた仮説を口にしてみた。

「草壁、家出したという線は考えられないか」

「家出? 陽平はまだ小学生だぞ」

「今年から中学生だろう? もちろん可能性のひとつとして考えられる、という程度の話と思ってもらいたいんだが」

 大嶽は客観的に説明した。

 家出は大きく二つに分けられる。いわゆる家出人は、みずからの意志で家を出た人のことであり、この場合は届けが出されても警察は動きようがない。なにせ年間十万人を超える数で、届け出のないものまで含めればその倍ともいわれており、家出である以上は民事事件の範疇に入るためだ。

 しかし警察への届け出にまるで意味がないかといえば、そうでもない。警察官によるパトロールや補導、職務質問等で発見される場合もなくはないからだ。年代別でいえば、いちばん多いのが少年である。中学生と高校生の割合は多いが、最近はどんどん低年齢化が進んでいる。

 小学生の家出など珍しくもない。いまはそういう時代なのだ。

 問題は二つ目の、特異家出人と呼ばれるほうである。これは言葉どおりに特殊な家出のケース、つまり子どもや幼児、身体の弱った病人や老人等、みずからの意志で失踪することが考えられない場合、つまり事件に巻きこまれた可能性の高い者を指す。事件性が高いケースで、ことに子どもの場合は、未成年略取や身代金目的拐取のケースが多いため緊急を要する。

 ひとつの可能性として話したつもりだったが、二人はすっかり沈黙してしまった。さっきから草壁のようすがおかしいことに、大嶽は気づいていた。