『エベレスト』
監督/デビッド・ブリーシャーズ他 出演/ジェイソン・クラーク、エド・ビエスチャーズ、ジャムリン・テンジン・ノルゲイ 他
エベレストでの実話を基にした映画
観ていて息が苦しくなってくるような映画だった。というのは、これが実話を基にした映画だったから。題名どおり、エベレストを舞台にした登山を題材にした映画だ。
山岳映画といえば邦画・洋画にもいろいろあるが、たいていは派手な雪崩や滑落シーン、極限状況でのアクションシーンとか、演出も派手になりがちだ。でもこの映画は、ノンフィクションの本が出版されているのかは知らないのだけど、体験者や関係者から綿密に取材したことがうかがえる。
だから何人も亡くなっているが、これは全て事実ということになる。そこが普通の映画以上に観る側が緊張させられる、結果的に手に汗握る(しかも、いやな汗だ)映像になっている。
商業登山というものの実態
商業登山という言葉自体は知っていたが、その実態は知らなかった。しろうとなりにも、(あなたはムリでしょ?)というようなレベルの人が、この映画の中だけでも何人も登場する。テレビ局の女性記者とか、アウトドア雑誌の記者とか。これはつまり、実際にもいるということだろう。
事実を描くから、どうしても亡くなる場面はハリウッド映画的な派手なシーンにはならない。そうできないのは、よくわかる。だから映画のなかで命の火は、ふっと消える。あるいは、眠るように消える。
ヒマラヤでの商業登山を引き受ける会社のリーダーが主役(というのもおかしいが)だが、エンドロールでその人がいまもヒマラヤで眠っているとの字幕が出てくる。それでも登りたい人はあとを絶たないらしい。
ヒトの心身の限界に挑む……
そもそもヒトの体は、標高8800mを超える地点で自由に活動できるようにできてはいない。あえてそれに挑むことは、想像を超えるほど過酷な訓練を積んだ者にしか許されない。あらためて、そう感じさせられた映画だった。
最近は自分で、実話を基にした映画を見ることが多くなってる気がする。怖いもの観たさ……それもあるかもしれない。なぜなのか、本当の自分の心情は自分でもわからない。純粋な創作物と、現実に起きた事実と。
ゆれる振り子のように、その両端をいったりきたりする、したくなるのが人間なのかもしれない。
(●誤字を見つけて修正したことによる更新です。以前読んだことのある人はすみません。文章の精度をあげるため、今後ときどきこういう更新をする予定)