世界の裏庭

読書、映画、創作、自然など

【おすすめ傑作選◉読書】『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』 村上春樹

● 『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』 村上春樹

 

 そろそろ夕暮れ。今日はエッセイというか、紀行文的な内容の本を紹介したいと思う。

 アイラモルトの蒸留所が点在する、スコットランドアイラ島を旅してのエッセイである。著者が小説家になる前、バーを経営していたエピソードは有名だが、やはりアルコールには一家言あるのだろう。

 一読してみて、凡百の紀行文とは違うな、と思った。と、印象を書くことはできる。しかしいったいどこがどんなふうに違うのか、それをつまびらかに記すことはあんがい難しいものだ。

 読んだ小説について書くのならば、ある程度のことは書けると思うのだけど、エッセイや紀行文については「面白くて興味深い内容なので読んでみてください」ぐらいしか書けなさそうだなと気がついた。お恥ずかしい。

 ただ印象に残るというか、見たようすを描いたいくつかの文章が心に残っている。

 真っ白な鷗たちが、屋根や煙突にとまって遠くをにらんでいる風景を見て

省察と無意識のあいだに引かれた一線をにらんでいる〉

……というような、まさにこの著者ならではのユーモアと実存的(?笑)な、卓越した表現だと個人的には思う。

〈アイラ・ウイスキーのあの個性的な、海霧のような煙っぽさ〉

……というたとえにも、一読、うならせられる。私も一時期アイラ・モルトにのめり込んでいた時期があって、あの独特としかいいようのない香りと味わいを、どんなふうに表現すれば飲まない人にも伝わるだろうと考えたことがあった。この文章を読んで、すとんと腑に落ちた。

 個人的な嗜好もあって、著者がアイラモルトのファンだと知ってうれしかったのを憶えている。といっても、なかば仕事で行ったようだから、それで知ったのか? とも思ったが、違うだろうなという結論に落ち着いた。この著者ならシングルモルトが好きなはずで、アイラモルトへ行き着いたのは必然だという気もする。

 

 刊行当時、アイラ島には8つの蒸留所があったそうだ。北からいくと「ブナハーブン」「カリラ」「ブルイックラディ」「ボウモア」「アードベック」「ラガブーリン」「ラフロイグ」「ポート・エレン」。

 最後のポート・エレンだけは記憶が曖昧だが、私はアイラ・モルトはほとんど飲んだことがある。ある時期ブームにもなったから、以後、バーに限らずちょっとした店にも置かれるようになったが、どうしても手にお目にかかれない物があった。

 それが「ブルイックラディ」だった。あるとき店でそんな話をしていたら(もちろんそこにもなかった)、仕入れ先に聞いてみれば入手できるかもしれないといわれ、即座にお願いした。

 数週間後店に行くと、たった1本だけそのボトルがあった。何かに祈るような気持ちでうやうやしく口に含んだが、肩すかしをくったようなさびしい思いになった。個人的に好きなラガブーリンやラフロイグに比べると、くせが少ないように感じたからだ(あくまで個人的な意見です)。

 そんなことを思い出しながら、この本を読んだのだった。

 

 本書は短めだし、文庫のエッセイ本にしては珍しく写真がふんだんに使われているので、文章を読む箸休め的に写真を眺めるのも、豊かな気分にさせてくれると思う。特に酒好きの方には。